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死が【ふたり】をわかつまで/#シロクマ文芸部
奪われた時間
「読む時間」を奪われた事が、生涯2回だけ、ある。
子供の頃から読書習慣のあった私の「読む時間」を最初に奪ったのは、21歳の時に付き合った4歳年上の男だ。
この男、多分知能の遅れがあった。
文盲で、また、「自分の家族の意見が正しい」と思い込んでいた。
「学歴もない女が本を読むなんて恥ずかしい」
私は中卒である。
体が弱くて、進学を諦めた。
その男も中卒である。
「試験で名前さえ書いたら受かる」
と有名な高校さえ落ちたそうだ。
その母親も中卒で、大人しいひとだったが、その男の姉が、気が強く、権力主義で、尊大な女だった。
「お姉ちゃんが、お前が本を読むのを嫌がっている」
男の姉は高校を出ていた。
彼にとっては、「高校を出ている姉の意見は絶対」だったのだろう。
まあ、「名前を書いたら誰でも受かる」高校ではあったのだけど。
月に5万円分は本を買い、1日に最低でも3冊読む私は、それに抵抗した。
殴られた。
拳で、加減もなく。
倒れても殴られ、その後蹴られた。
それを見て、男の母親は逃げた。
男の姉は、笑いながら、醤油差しの中身を私にたらたらと垂らした。
「天然」
私は、初対面の人からよく、
「天然でしょう」
と言われる。
私自身、「天然」という言葉に悪感情は持っていないが、そうやって私のことを、
「天然」
と言ってくる人は、悪意を含んで言っていることは分かっていた。
一重垂れ目、人見知りで自分を取り繕うことを覚えてない時代の私は、頼りなく見えたのだと思う。
長く付き合い、一緒に働いた人は、
「騙された」
と言うくらい、プライドが高く、自分でも言うのもなんだが、目的を達成するまでの努力は惜しまない。
「無駄」と思うプライドはない。
上司が年下だろうが、後輩が先に昇進しようが、私は拘らない。
そういう所が、「天然」と言われる所かもしれない。
男とその家族は、最初私を見下していた。
しかし、男が止めるのを無視し、勉強して仕事の資格を取り、総合病院に就職したくらいから、私への暴言が減っていった。
「大人しくて何でも言うことを聞く」
はずの女は、自立して自分より遙かに高給取りになった(その男の月収が正社員で10万円というのも、おかしな話だ)。
男は、私が再び本を読むことを止められなかった。
男の姉は不満そうであったが、私に直接言ってくることはなくなった。
この6年後、別れてから二度と会ってはいない。
「トイレの中の5日間」
二度目に「読む時間」を奪われたのは5年前。
誕生日の夜に、トイレで倒れた事がある。
私の家は、一応、バストイレは別にあるのだが、多分トイレは無理矢理後付けしたのだろう、とても狭い。
どう倒れたのか、私は壁と便座の間にすっぽりはまり、全く身動きが取れない。
しかも、自分では気がつかなかったが、頭にひどい裂傷を作っていた。
意識がほとんどないまま数日過ごし、連絡が取れないことを心配した北がわが家に来て、私を見つけた。
「スマホは?本は?5日間も君は本を読まずにいられたの?」
5日間経っていた事にも驚いたが、5日間飲まず食わずの人間に最初に言う台詞ではないような気がする。
スマホがあったら、もっと早く助けを呼んでいる。
救急車で医大に搬送され、HCU入院となる。
北が私の身元引受人なので、色々看護師と話をしているのだが、なにかもめている。
「スマホは持ち込めないんです」
「SIMを抜いて、ネットを使えないようにしてもですか?本がたくさん入っているんです」
「傍目から見たら、ネットが使えるか使えないか分からないでしょう?写真など撮ってネットで公開する方もいるので、ICU、HCU入院の方にはどなたにもお願いしているんです」
「院内の図書館の利用は可能ですか?」
「HCU入院中は無理です」
「この人は、本を読んでないと駄目なんです」
(家に一度帰って、適当に一番厚い本持って来てくれてもいいのだけど)
入院当日、私はうまく言葉が発せなかったので、それを伝えられなかった。
HCU入院5日間と、1日
入院して2日くらいは、自分で動くこともままならない。
頭の傷もひどいが、ふくらはぎに巨大な褥瘡(床ずれ)が出来ていて、これがかなり痛み、モルヒネを投与されていた。
退屈だろうとテレビを貸してくれたが、私はテレビを見る習慣がなく、困った。
見ても、巨大台風の爪痕の悲惨なニュースと、ラグビー?の試合の事ばかり。
入院中はいつでも眠られる、と思っている人も多いだろうが、「早期離床」を目指す現代医療はそんな怠惰な生活は許されない。
私は当時ピルを飲んでいたので、血栓になっている可能性があったから、検査結果が出る前は安静だった。
それでも、リハビリの先生が毎日来て、上半身のマッサージをされる。
下肢血栓の疑いが晴れたら、尿道カテーテルを外され、自分で歩いてトイレにも行く。
私は特殊な血管を持っているので、動脈注射が出来ず、最初の頃は30分おきにバイタルをはかりに来られる。
これは、消灯時間が過ぎても行われるので、ただでさえ不眠症の私の眠りは浅くなる。
また、5日間、飲まず食わずだった私の静脈はしぼんで、静脈から採血が出来ないので、そけい部の大動脈から採血が行うのだが、これは医師でないと出来ない。
朝4時、仮眠を取っているのだろう医師を起こしたくない看護師たちは、総出で私の腕を温め、もみ、リラックス出来るよう優しい話をしてくれて嬉しかったが、血管は出てこない。
最終的に医師が呼ばれるが、それが研修医だと、失敗することもある。
指導医が結局来て、1時間ほどかけて採血が終わる。
眠かったが、このような事が5日ずっとくり返されて、退屈をする時間はなかった。
6日目の朝、突然一般病棟に移ることに決まった。
北の仕事の関係で、その次の日でないと来てもらえない。
ちょっと不安であったが、一般病棟の部屋はヘリポートがよく見えて、離着陸を見ていて楽しかった。
ベッドから、青空がよく見える。
当日は、まだ自由に歩いてはいけなかったので、ベッドの上でドクターヘリを見て、空を眺め、終わった。
500冊の本
次の日、北が、自炊本をたくさんいれたスマホを持ってきてくれた。
また、一般病棟では院内Wi-Fiが使えたので、Kindleでたくさんダウンロードした。
なにを最初に読んだのだろう?
多分、一番最初に読んだのは、既読の読み慣れたマンガだったのではないだろうか。
それから10日、リハビリの時間以外は本を読むことばかりしていた。
退院の日、北が迎えに来て、入院費の精算をする。
「高いな」
緊急医療加算や、パジャマもタオルも全部レンタルにしたので仕方ないのだが、北はそう言った。
半月の入院費の倍額を本代にしてしまったことは、今も秘密だ。
「ないのが一番だけど、こういう時のために」
と、Kindle端末を勧めてきたのは北。
まさか、KindleScribeまで買うとは思ってなかったろうが。
今日も本を読む。
Kindleでも、紙の本でも、なんでも。
「読む時間」を奪われることは、もうない。
死がふたりを別つ時まで。
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