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口伝による現代の怪談「ヘルタースケルター」



少女から女性になれなかった

今更、沢尻エリカ主演の「ヘルタースケルター」を見た。

沢尻エリカにあんまりなじみがない。

auのSONYのイメージキャラクターだった頃があったような気がする。

まだテレビを見ていた頃、「別に…」といったことがあるひとだよね、という記憶はあった。

名前と顔の一致をさせるのが本当に苦手なので、Wikipediaを見たら、なんでか北と一緒に見た、「母になる」に出ていたひとと知る。

「ヘルタースケルター」が発表されたとき、ちょっと見たいな、と思ってはいた。

原作者の岡崎京子は、ファンシィダンスだけは読んだことがある。

私は新しい世界に飛び込むのが苦手で、長く少女マンガで育っていたから、岡崎京子や、安野モヨコ、内田春菊という、「少女マンガの絵ではない」、「少女マンガの世界ではない」物語を描くひとたちに気づくのが遅れたし、少し苦手な所があった。

今年51にもなるのにこんなことも言うのも変なのだが、私はあからさまな性表現が苦手である。

堂々と女性の「性」を語る彼女らを、遠巻きに見ていた。

なにかのスポットで見た「ヘルタースケルター」の、赤いイメージ。

夏の日の朝、私は見始めた。

墜ちてこい、ここまで


※若干ネタバレ含みます

もともと、全身整形をした女性が美貌を利用し上り詰め、破滅する話なのは知っていた。

目まぐるしいカメラワークに車に酔ったような感じを覚える。

これは、アニメ「空の境界」の【矛盾螺旋】でも知っていた演出。

初っぱなからあられもないSEXシーンがあって、私はうろたえた。

鏡に映る自分を見つめながら男に揺られる彼女の目は冷めている。

また、別の男と仕事の為に寝た際は、腕時計を見ながら乱れるときをはかっている。

美しく名も売れてなにも怖い物がないように傲慢に振る舞う彼女。

作られた顔とからだ、作られた笑顔、作られた成功をつかんでも、乾いたように、いや、溺れるようにあがき続ける彼女は、アイデンティティの崩壊の目前、自分に犬のように従う女性マネージャーを誘い寝た。

そうして、それは本当に彼女の本当の望みなのか、という欲望を叶えるため、女性マネージャーの恋人とも寝る。女性マネージャーの前で。

罪に震えるふたりにドラッグを与えて自分の目の前でふたりにSEXを命じる。

「ここまで墜ちてこいよ」

そうつぶやきながら。

求道者

私は原作を読んでないので、原作にもそんなシーンがあるのかは知らないが、華やかに狂った彼女の世界に、暗い群青色の部屋に埋もれた男が、彼女のことを語るシーンが差し込まれる。

映画は背景の音楽や効果音が大きいから、音量を上げなければ聞こえないちいさな独白。

そうしてこの物語が、ただの女性の悲劇ではなく、ある犯罪行為を裏に潜ませたミステリーと知った。

男は彼女を追い詰めるハンターであり、また彼女を助けようとする神父でもあるようだった。

そうみると、彼女は道を誤り続けているが、求道者のようにさえ見えた。

顔をからだを切り刻み続けるのも、男と寝るのも、なにもかも救いの道にたどり着くための信仰にさえ見える。

自分の肉を与えるしかなかった兎の話を思い出す。

そういえば、彼女の登場シーンで、彼女が大きく道を踏み外す時、彼女は白い衣装を着ていた。


彼女を作った「ママ」は、醜く肉の塊だった彼女に投資し、監視し、支配し続ける。

ことばだけとわかりきっている白けた優しい台詞を並べる「ママ」は、結局彼女を「自分の作品」以上のこだわりはなく、多くの物語にあるように彼女は「ママ」を殺すか押しつぶされるかの選択で、「ママ」を殺さず、自分を壊した。

実際、彼女のライバルである若いモデルを発掘したのも「ママ」であったし、「ママ」は彼女の美しさが続くようにあらゆる手を尽くすが、彼女の「心」には全く興味を示さない。

食べ過ぎた彼女に、「あとで吐いておきなさいよ」とおやすみのように言い捨てる「ママ」。

結局、話の途中で「ママ」は彼女を若い頃の自分に似せて作っていたことが観客にばらされる。

まあ、そうでなければ話は繋がらないし、そうあるべきと思って見ていたので、特に意外性は感じなかったが、演出と演者のうまさで引き込まれる。

「ママ」は彼女の庇護者であったが、彼女が乗り越え壊すべき「鏡」であると、ここでも宗教的なメッセージを感じた。

口伝

群青の部屋の男と同じように、白い背景で、彼女を取り巻くひとたちがこちらを向いてインタビューされていく。

それぞれの目から見た彼女が語られていく。

美しい彼女

素晴らしい彼女

誇り高い彼女

頼りない彼女

理解できないひとである彼女

語る言葉もないと吐き捨てられる彼女

語りつくされて、世界に向かって贓物をまき散らしながら当然のように彼女の破滅がきた。

そうして、物語は、ミステリーから、怪談になった。

忘れられることを心の底から怯えていた彼女が、ひとからひとの口から語られることで、いつか広がり、根を張って、彼女であって彼女ではないものに、かたちを変えて、ひとびとの記憶に残る。

本当のラストシーンだけ、若干都市伝説的すぎるかな、と思いはしたが、これは「リング」から始まったジャパニーズホラーのひつではないのか?

怪談はこのように生まれて、このように生き残っておく。

私はこの物語を「怪談」と認識した。

美しさは強さになる


作中で彼女が吐いた台詞だが、この作品における沢尻エリカは本当に美しかった。

「母になる」をのぞいて私は彼女の出演作は知らないし、今回調べた時に見つけた、原作が好きな「食べる女」は興味があるが、同じページに上がってきた、「薬物中毒」などの彼女の私生活には全く興味は持てそうにはない。

本当に「造られたような」ちいさな顔、胸、腰、脚を持っていた。

彼女の言う、「美しさは強さになる」は、神話に刻まれてもおかしくはない。

私は残酷な消費者だから、この作品の彼女の美、若さを永遠に愛でよう。

明るい部屋で怪談を囁きあうように、ずっと。

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