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自分を好きになる魔法。

小さな頃から太っていて、目が細く垂れ目で、たいへん地味な子供でした。

髪だけは真っ黒で真っ直ぐで素直な性質で、大人は日本人形のようとほめてくれましたが、自己肯定感の低い子供でした。

しかも、小学3年生から第二次性徴期が始まり、胸が膨らみ出しました。
今のお子さんなら、そんなに珍しくない事なのでしょうけど、当時は奇異に見られました。

母は投げやりにブラジャーを買い与えてくれましたが、つけ心地は悪く、痛い。
私はブラジャーをつけることを拒みましたが、みっともない、と言われてしまい、仕方なくつけていました。
この体はみっともないんだ、と強く思いました。

ある日、珍しく母と外出して、ダイエーに入っていたワコールに行きました。予定ではなくたまたまです。
その時、店員さんが、

「お乳が可哀想…」

と、声をかけてくれました。

「お母様、こちらのブラ、フィッティングされました?ぜんぜんサイズがあってないです」
「子供だから適当に私が選んで買ってました」
「カップが全くあってません…Aカップ?お嬢様はCくらいはおありだと」

その後、計測され、結局Dカップ。

「Dカップ!?私はAもないのに…私の娘なのに、違うんですね」

その言葉は、私の体への批判に聞こえました。

当時は大きなカップのブラジャーは、本当に地味なものしかなく、ベージュの、なんというかおばさんくさいものを洗い替えも含めて何点か買ってもらいました。

しかし、胸は成長を止めず、中学に入るとFカップに。
私はそれを、肥満のせいだと思い込み、猫背になり、出来るだけむねが目立たないように過ごしました。

15で初の彼氏ができましたが、自己肯定感が上がることもなく。

自分の容姿、体型に常にネガティブな意識があり、本当につらい10代でした。

働き出してから、年上の女性から、胸の大きいことをあからさまにからかわれます。

「魅力的な胸なんだから、もっと強調しなさいよ」

今思えば、褒めてくださっていたのかもしれませんが、当時はそんな風には受け取れませんでした。

好きな先輩と付き合うことになり、その人からも胸の大きさを褒められますが、太ってると同義語だと思っていたので、喜べませんでした。

その先輩とは半年ばかりで別れて、また次の彼氏ができましたが、その人も胸ばかり褒めます。

私は本当に嫌で、肥満だ、太ってると言われ続けているような気分になり、拒食症になりました。

最低体重が158.5cmで43kgまで減りましたが、胸はBとCの間を行ったり来たり。

とにかく女性的な、丸みのある身体が嫌でした。

10代の時に買った、中島梓の「わが心のフラッシュマン」で、

「太っている」と感じているのではなくて、
世界から「拒まれている」「ないがしろに
されている」と感じているのであり、その(実は彼女自身をほんとうに立ち直れぬくらいには傷つけないであろうかりそめの)「理由」として「体重過多」を見出しているのだ。
わが心のフラッシュマン 中島梓 筑摩書房

何度も繰り返して読んだ本ですが、その言葉は当時は遠く、響きませんでした。

その後リバウンドして、胸はGカップになりました。

何年か後、同僚と下着を買いに行った時のこと。

その子は私と同じくらい太っていたので、同じようなブラを選ぶのだと思っていたら、なんとBカップでした。
私がとても驚いているのをみて、その子は苦笑気味に、

「なぎにちゃん、太ってるからと言って胸が大きいわけじゃないよ」

と、言いました。

「なぎちゃんが羨ましいよー。胸が大きいのは永遠の憧れだね」

私にはない視点でした。

それでも自分の体を好きになる事もなかったのですが。

28の時、とても好きな人と付き合いだして、その人も胸を褒めます。
いい加減慣れてきて、受け流す事ができるようになったのですが、なんだか、歴代の彼氏、胸目当てばかりだな、と思いました。

でも、大好きな彼から言われ続けると、少しは自信がつきます。それでの彼氏はどうだったんだよという感じですが、好きの度合いが違いますから。

その人との付き合いの中では、結局は一度もダイエットすることなく、68kgという肥満体型でしたが、焦る事はなくなりました。

彼は私に女らしさを求め、それにはふくよかな体や大きな胸をは必須でした。

やはり10代の時に買った、中島梓の「コミュニケーション不全症候群」の中の、ダイエット症候群の一説で、

女の子には逃げ道がない。逃げる先もない。おタクはおりることができるが、かわいそうな女の子にはたちはおりることさえできない。女の子がおタクにならないのは、何も鈍感ではなくて、おりることがはじめから女の子にはゆるされてないからにすぎない。
コミュニケーション不全症候群 中島梓 筑摩書房

時世を反映して、女のおタクはいない話になってますが、この一文は、ある一定層の女性、女の子にはわかる言葉だと思います。

私はどうしようとなく女で、女であることをまず否定され(またはそう感じて)、その後受け入れられますが、その大好きだった彼との別れで、また受け入れられるべき女性性を見失いました。

当時出勤先が、歩いて45分のところにあり、往復歩いて通勤するうちに、まだ32だった私はするする痩せました。
体重の落ち方は一月1kgずつでしたが、サイズの変化がすごかった。
当時のパンツを見ると、サイズ61センチとか。でも胸はFカップを維持してました。

スタイルが良くなって褒められるのですが、私は私の女性性を見せたい相手以外に褒められても、なんの感慨もないことを知りました。

結局、その好きだった人とよりを戻すのですが、彼はベタ褒めでした。
付き合ってる頃、胸以外の体型について一切なにも言われませんでしたが、やはり不満は当然あったのでしょうね。
私は安心して自身の女性性を再び受け入れる事が出来るようになりました。

しかし、私には特殊な、いえ、別にそうでもないのだと思いますが、いわゆる、性行為、セックスが嫌いです。
子どもの頃性的被害に合い続けたせいか、大変失礼な言い方になりますが、相手が下手か、まあ、多くはない経験人数ですが、たいへん自分本位のセックスをする人ばかりでした。
だいたい痛いか、よくて何も感じない。
これさえなければと常に思ってました。

また中島梓からの引用になりますが、

ダイエットという方法で女性たちの精神を支配しあやつっている現代文明に、「過剰なるダイエット」によって過剰的適応してみせる。そのどちらの場合にも、太りすぎるか、食べ吐きで体力を失い摂食障害以外のことに関心を失うか、気味わるにほど痩せすぎてしまうことによって、少女たちは「性的対象であること」、ひいては社会が欲求するジェンダーできましたが役割から逃れ得る「変身」能力を獲得したわけです。
タナトスの子供たち 中島梓 筑摩書房

私は14の時にJUNEを読み始めて、なんというか、性的快感のないセックスが正統である、という考えが根底にあります。
今のBLからは信じられないほど、抱かれて乱れる、という作品が少なかったのがJUNEです。
もちろん、そうじゃない作品もありましたが、私が好んだ作品はそういうものばかりでした。

私は私を受け入れてほしい、と強く子供の頃から願ってましたが、それは私の女性性との向き合いでもありました。

太って醜い体は私を傷つけましたが、私を守る鎧でもありました。

しかし、奇形的に大きな乳房があってこそ、私は自身の女性性を受け入れてくれる人に出会いました。

しかし、性的存在として見られる苦痛は、セックスの苦痛と相まって、さらに私を苦しめます。

彼とは別れてよりを戻したりもしましたが、その頃北と知り合います。

北は太っていた私を「だらしない」の一言で糾弾しました。
また、お互い恋愛感情はないのですが、スキンシップを取るのが好きで、一時期は、髪を乾かすのは北の仕事になっていた時があります。
丁寧にドライヤーをかけ、つげの櫛で髪をときながら

「綺麗な髪だね」

と、囁くように言われました。

子供の頃よく褒められた髪ですが、そんなには思い入れもなく、なんとなくまとめやすいようにというだけの髪型でしたから、褒められたことにびっくりしました。

そうして、世の男女間にあるように、一線を超えてしまいましたが、なにか違うのです。

とりあえず痛くない、というのが最初の感想でした。
全く乱暴に扱われないのです。乳房を握りつぶしたり、局所を噛むということもありません。どれだけひどい男とばかり経験したんだって笑われましたが、私には初体験でした。
あと、そうい関係になってからも、長く胸には触らないでいました。
私はてっきり、胸に興味のない人なんだなと思いましたが、実は反対ですごい巨乳好きだったのですが、
「嫌な目にもあったこともあるだろうし、コンプレックスかなと思って」
と、触れずにいてくれたらしいです。
そんな話をした事はなかったのに。

私から求めないとそういう風にはなりませんが、北との行為は私を傷つけず、安心で、心地よいものでした。

北は普段は全く甘やかすことのない、シビアな人ですが、たまにデレる時があり、そのギャップも私には好ましかった。

そうして廃人期間も含めて、支え続けてくれて、去年覚醒してダイエットを始めますが、当初は86.6kgを、2年かけて65kgにしようと呑気に思っていたのですが、想像以上に効果が早く、年内に20kg痩せた頃、
「胸がなくなっちゃうね。いや?」
「いや、別に」
「前に、ピルを飲んでたし肥満だし、乳がんのリスクは高いから、もしそうなって胸の切除したら、あなたはどう思うかと考えた事があった」
「そりゃ、胸は好きだけど、それだけじゃないし。そうなっても関係は変わらないと思う」
そんな話をしました。

今年50になり、急激に痩せたので、胸はしぼみ、長年の重さで垂れてますが、それでも北は変わらず愛でてくれます。
まだDカップあるので、出来たらBカップ、もしくは夢のAカップになれたらなと。

また、唯一褒められやすい髪も、運動を始めてから顎のラインで揃えてショートボブにしていて、ひと月に一度はカットしないとまとまらないので、こまめに手入れするようになり、年齢の割には白髪も少なく、素直に綺麗だなと思えるようになりました。

細くて垂れてる目も、常に微笑んでいるように思われるのか、好感を持って受け入れてくれる人が多いので、これも一つのチャームポイントだなと。

どうして北に恋愛感情を抱かないのだろうかと思うこともありますが、私は恋をすると完璧な面しか見せたくなくのるので、疲れてしまって、長く一緒にいる事は不可能だったでしょう。

しかし、その、世間ではふしだらなと思われる関係が、私を癒し、自身の女性性を無理なく受け入れる結果になったのは、少し皮肉でしょうか。

たまに膝枕や、後ろからハグしてくれる時に、

「はたから見たら仲良しさんだと思われちゃうね」
「まあ、仲が悪いわけじゃないから」

まだ、自分を大好き、とは言えませんが、悪くないんじゃない、と思えるようになったこの頃です。


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