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感謝は必要。だが好きになる必要はない。

私は8年前、身体を壊して退職してからずっと無職です。

まあ馬鹿みたいに働いていたし、車、ブランド物と言ったお金がかかる趣味は一切ないので、それなりに生活はしていけます。

退職する前からあった症状ですが、強烈なストレスを感じると、記憶が飛んで、買い物してるんですよね。
100円くらいの、甘いふわふわの蒸しパンから、まあ数万のブランド品(全く趣味じゃない!)など、気づけば買っている。

家にそれらのものがあるのは不思議でしたし、クレジットカードの請求がすごくて。

全く覚えていない。
北が私の異常に気付き出したのはその辺りからでしょう。

今では、現金、プリペイドカード以外のカード、通帳、印鑑、Amazonのアカウントなど、全て北に預けて管理してもらってます。

それでもプリペイドカードにチャージがあると、記憶が飛んだ時にやはり甘い蒸しパンなどを買ってしまうので、使う時につどチャージするという方法にしてます。
ただ、日用品が急に切れると困るので、最低金額は入れてますが…
記憶がなくなると必ず買うパン。

私は甘党ではないので不思議です。

5年の廃人生活の時は、北が率先して買ってきて、常備してありました。

精神科の先生曰く、万引きに至らないならいいんじゃないか、と。
本当に?

私がこんな状態で、しかも5年の廃人期間があるのですが、実家に帰るという選択肢はありませんでした。

母は未婚で私を産んで、祖父が早くに亡くなったので、25にして大黒柱として働いていました。
それ以前から、産んでから私の祖母に育児は丸投げで、自分の趣味優先の人でしたから、あまり子供の頃は関わりのない人でした。

それが、私が13歳の時、弟の父になる人と出会い、少し軌道修正が入ります。
私も祖母含めて親族も、私を跡取りとして残して、母はその人に嫁ぐのだと思っていたのですが、なぜか籍を入れず事実婚に。
そうして何故か、いまさら私の母親業をすると言い出したのです。
弟の父との恋愛が始まってから、家を出て、私とは別居だったのですが、いきなり引き取ると。
本当は子育てしてみたかった、みんなが子供を取り上げたと。
いやいや。
誰がどうみても趣味に恋愛にと人生を謳歌して来ただろうが。
ちょうどその頃、母と叔父との確執が表面化して来て、親戚の間でも不穏な空気が漂ってました。
私は叔父も嫌いだったけど、母にもなんの感情も待っておらず、いえ、むしろ13歳の思春期に、女の顔を見せた母に嫌悪感が強く、母との同居を拒みました。

弟の父とも仲良くなれるはずもなく。

祖母と2人暮らしを続けて、就職と共にその家も出ました。

弟の父親が見栄っ張りで金遣いが荒く、弟が産まれてから何年かは経済的に大変逼迫した生活を送っているようでした。
私はとくに義理を感じていませんでしたが、弟のため、仕送りをしていました。

その後、私にも結婚を前提に付き合う人ができました。
その人は異常に家族にべったりな人で、それを当たり前に思っており、またその輪の中に私を組み込もうとしまたした。

彼自身もどうかと思うところが多かったのですが、その家族はとても私には受け入れ難い人たちで、私はその事を母に相談するという形で、親子の仲は多少復活しました。

しかし、10年以上、いえ、幼少期から育児をしていなかった母との関係が、いきなり埋まるはずもなく、どこか白々しい仲ではありました。

28の時、祖母が亡くなり、私を実家に縛り付けているものがなくなりました。

私は自分自身の恋愛や仕事でいっぱいいっぱいの時期で、実家のことを気にかけている暇はなかったのですが、その頃弟の父親は借金1000万円、母名義の土地は二重抵当、弟は栄養失調が原因か、多少発育の遅れた子供になっていました。

弟の父親から、何度か援助を求める話はきたのですが、母からならととかく、その男に何かしようという気は起きませんでした。

結局、男は任意整理、母名義の借金は自己破産という形になりました。
家土地持っていても、自己破産って出来るんだな。

弟は20歳で起業し、苦しいながらもなんとか耐え抜き、零細ではありますが地道に会社を営んでいます。

北から、私の様子がおかしいと相談された母と弟は、まず私を引き取ろうとしました。

その時、私たちは5年くらいまともに会ってなく、久しぶりに私の姿を見て、無理だと思ったそうです。

私自身、家族を受け入れれず、パニックに陥りました。
引き取ると言っても、弟の父も同居する家です。
母と弟とも一緒に暮らせないと思いますが、さらにあの男との同居は考えられませんでした。

混乱している私を除いて話し合いが繰り返されたようで、結局、金銭的援助をするから北が私の面倒を見る形になりました。

考えてみたら、ものすごく不自然です。
北は私の恋人でも夫でもありません。しかも、私には援助をしてくれますが、北への報酬はありません。

でも、結局私にはそれがベストで、5年間の廃人生活はありましたが、やっと色々立て直せてきました。
多分実家に帰っていたら、施設送りだったでしょう。

とにかくも、私が無職のまま生活できるのは、自身の蓄えもありますが、実家からの援助も大きいです。

だいぶ回復した私を見て、北は、金銭的な目的だけでなく、私に社会的に復活して欲しいようで、何度かアルバイトかパートの話をしていましたが、昨年末から今月初旬の私の様子を見て、まだ早いと判断したようです。

実家からの援助を受け取るたびに、私に母へ感謝の電話するよに促します。

もちろん従いますが、私の母への複雑な感情をくみとって、

「これだけ面倒をみてもらってるのだから、感謝は必要だよ。でも、母親だからって、無理に好きになることはない」

と、言ってくれました。

なんの解決にもなりませんが、少し救われました。

親子だからと言って、無条件に愛し愛されるとは思ってません。
でも、その力なしには生きていけないのは、相応に無力感を覚えます。

せめて、親子の情愛があれば…、と、思っていた私には、染みた言葉でした。

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