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〜過去を変える魔法〜親子の関係から今の自分を愛するコミュニケーション

前回こんな記事を書きました。


私はこの記事の最後に

〝過去ずっと虐げられてきた幼い私から

今の私に対するメッセージのような気もする。

私が私を幸せにする。

それは自分以外、他の誰にも出来ない。

だから本当は自分以外、他の誰にも自分を傷付けることも出来ない。〟


そう書いて締め括ったのですが

その後、上に書いた出来事のことで母とLINEのやり取りをしてました。

私に起こった過去を両親に打ち明けることはないだろうと思ってきました。

というか、きっと誰にも打ち明けることはないと思って生きてきたのですが

だからこそそれが辛かった理由のひとつでした。

その時はずっと隠し事があり、後ろめたく

罪悪感を抱えてるように過ごしてました。

「悪い過去」があり、悪い私が居て

それを隠すように生きてました。


常に死ぬことばかり考えて、実際何度も繰り返し

でもそれはお陰さまで

いつもうまくいかなかったのです。

結局、勇気がなかったと

そのことさえ責めて落胆して

生きなきゃと決めてある種の諦めのような感覚から生き始めました。


弱すぎる自分や、決めた事さえ出来ない自分

人を傷つけてしまう自分

人をバカにするような自分もいて

傲慢とか、言ったのに何もしないとか

そうゆういけない自分が沢山いて

死んでしまいたい理由はただ生きるのが怖かったことだけでもなかったです。

あの頃は命と引き換えにしてまで仕返しをしたかった私がどこかにいたと思ってます。

家族には沢山迷惑をかけて

母は辛かっただろうと今は思います。

そのことを思うと涙が出そうになるけれど

当時は、心の奥でざまあみろと言ってました。


当時の私はネガティブな感覚をみたくなかったから

自分が憎しみという汚いものを抱えていたと認めることが出来なくて

でもあれは憎しみでした。

今思うと必死過ぎで

そんな自分も笑えてきますが

よく生きていたと思います。

よく生きてくれた。

過去の私を情けないとずっと罵っていたけれど

今は、バカだと言いながら抱きしめられまます。


母とのLINEのやり取りで私は

トラウマになるような出来事が起こった背景に宗教組織という特別な空間が手伝っていたと

母に伝えた時

母はそれは関係ないと返してきました。

(両親は信仰を持ってます)

それを聞いて

私の中にまだ怒りがある事を見つけました。


宗教組織の環境や親と子供の関係は全て繋がっているというのが

私の主張です。

そんなの切り離せるわけないです。そこで色んな経験があったのだから。

トラウマになるような経験をされた私やした男の子や

そこに所属する人や親と子の関係、宗教の存在。

本当はただ愛されたかった。

良い子と引き換えにその本音も抑圧して分からなくしてました。

宗教の環境下で子育てして

大勢の大人の中で常に子供が騒がないかを心配する真面目な母の緊張は

子供にとっては見えないプレッシャーだったり

大きくなってからは両親との正しさの争いの期間も長かったです。

みんな完璧じゃないし、色んなもの抱えていると思います。

親でも子でも。


LINEのやり取りで出てきた私の中の怒りは、

寂しく悲しい自分がまだそこにいる現れで

母にそれを満たしてもらいたい、あなたのせいでこうなったと言いたい

頭では責めないと言いつつ

でも心の奥ではなぜ愛してくれないのか?と訴える声がまだ

しぶとくそこに居座ってる気がしました。

でも外側には私を満たせる人は居ません。

母は母なりに一生懸命愛を注いできました。

それが私の望む形とは違っていたとしても。

私は自分が望んでるぴったりの物を相手に求めすぎました。

今まで私の話を母はよく聞いてくれました。

多分頭でっかちで話す私の話を

母は理解などしてなかったと思います。

私はずっとなんで分かってくれないのか?と自分の望むカタチで母に聞いて理解して欲しいと思って来たので

余計に話が複雑になってきました。

相手に理解してもらいたいから分かるように

色んな説明や解説が増えていったのです。


私は母が私の話を分からないなりにただ聴き続けてくれていた事には気づかないまま

いつも的外れな母の返答に落胆してきました。


今回LINEでのやり取りもそうでした。


母は私の分かって欲しいをスルーしました。

私の頭でする解説のような長い話を相変わらず理解出来ず

でも私を大切だと母なりの表現で伝えてきました。

全く話聞いてないよね⁈みたいに私はなりながらも

それは母の心からの想いでした。

私の頭でする重くて長い話は

母の心でするお気楽なまでに軽やかな短い愛ある一言に

虚しく両断されました。


私はそこで母がずっと幸せだったことに気づきました。

母は可哀想でも不幸でもありませんでした。

私がその母を作っていたのでした。


そしてそのことで

幼かった私も本当は愛されたいとそれを乞い続ける

弱い私ではなかったことに気づきました。


〝過去ずっと虐げられてきた幼い私から

今の私に対するメッセージのような気もする。〟

そんな弱く押し込められた可哀想な幼い過去の私ではなく

ずっと愛され続け

最初から豊かで愛され安心して遊ぶ幼い過去の私でした。


過去の不幸な私のために今の私が幸せにしてあげるんじゃなくて

元々幸せな私なんだから

今それを味わう為に遊んだり味わったり

目的じゃなく今その体験を味わえるように過ごそう。

そうゆう選択をしていこう。

今までずっと幸せだったのだから。


ということで好きなことしています。













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