幸せってどうゆうことだろう?
日常を過ごす時、
あの時の私は
まるで地獄のような苦しみという感覚や
悲しみや、緊張や恐怖の中にいた。
もっとこうならいいのにと呟き
私なんてと呟き
悲しいと肩を落として泣き
怖いとどこかで震えてる。
そんな感覚で居ることが日常だった。
普通の日常を、普通に感じることが難しかった当時の私の願望は
普通に働きたいだった。
常に何かに怯えていたから。
出勤する時も、仕事をしてる時も
休憩の時も、帰る時も、家で過ごしている時も…。
ただ平常心で過ごせること
安心していられる時間
それは特別なんだ、と今思えるのは
あの時の苦痛な日々があったからかもしれない。
そのことに今ふと気が付けるのは
同じことをしていても
違う心模様を感じているから。
あの時の私は
未来に何か起こるだろうと今怖がり
過去の嫌な経験を今思い出し
そこから逃れることを常に求めていた。
日常に安心やリラックスしている時間は
タバコを吸っているか
綺麗な夕日を写真に収めるか
ほんの数分の時間だったように思う。
だからこの2つの時間が私にとっては支えだったと同時に
依存や執着だった。
身体が無理してたから。
そんな当時の自分に
気持ち悪さを感じた時もあったけど
今は愛おしく感じる。
何もない日常をあえて地獄に変えて来た過去の私
とも言えるし
それを鬱的でhsp気質で真面目で…
名前を付ければ何とでも当てはまるのは
きっと今もそうなのかもしれない。
持っている感性や素質が変わったわけじゃないから。
ただ諦めなかったのは
幸せの状態を求めたことだった。
苦しかったから。
普通の日常を、ただありがたく受け取る事より
何か特別なことが欲しかった。
特別でいたかった。
みんなと同じだと目立たず埋もれてしまうことが嫌だった。
周りの誰かや何かに
認めてもらいたかった。
そしたら幸せや安心が手に入ると思って
追いかけてた。
今は、みんなと同じだと目立たず埋もれてしまって
例え誰にも見つけられなくても
私が見つけるし、私ひとりが認めれば
それで良くなった。
それは何もない日常をあえて天国に変える
今の私がいる、ということだった。
日常で起こる事はきっとあの時と変わらなくても
私がする〝アプローチ〟が変わった。
過去の私は、無意識的でほったらかしだった。
今の私は、意識的にしようとしている。
誰かや何かに求めずに
自分から幸せや安心を感じたり
見つけてみよう、と。
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