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雑考 20220819

 落合陽一氏のnoteをフォローしていてこの発言に出会った。

 研究分野に限らず、どの分野でもそうだと思うけれど、コミュニケーション能力は研究能力や業務遂行能力以上に重要だ。ちゃんと仕事をしていても、それを見ていてくれる人がいなければしていないのと同じなのだ。

 父はかなり寡黙な人であった。少なくとも家庭では寡黙すぎて母の怒りを買い、どうしてこんなことが伝わらないのかというレベルの齟齬がたくさん起きた(もちろん父だけに原因があるわけではなく、母の独りよがりなコミュニケーションスタイルにも大いに問題があったはずだ)。そんな父だが、技術者としてはそれなりに優秀だったようで、長年の勤務ののち、勤め先の最高責任者についた。父の歩んだ道は平坦ではなかっただろうが、現代だったら、父のような人はさらに出世が難しくなっているのではないだろうか。

 今、仕事で学生の文章を読んでいても、猫も杓子もコミュニケーション能力が大事、と書いてくる。それは彼らZ世代よりさらに若い世代の肌感覚なのであろう。昔も人たらしの方が出世に有利だったはずで、コミュニケーション優位なのは時代が変わっても変わらないのだと思うが、現代はそれが広く発見されたということなのか、肝心の能力を伸ばすのがかったるいという風潮に日本全体がなっているのか。
 昔は「真面目に頑張っていれば誰かが見ていてくれる」という言葉が多く聞かれた。実際その言葉には一定の信頼があったのではないか。でなければ、寡黙な上、下戸でもある、父のような人が出世できると思えない。父が職場ではやたらと饒舌だった可能性もあるし、職場の性質的に、喋りより技術が評価される傾向にあったのかもしれないけれど。

 昔「頑張っていれば誰かが見ていてくれる」に一定の信頼があったのは、頑張っていさえすればみんなそれなりに給与が上がるという、高度経済成長期の特徴の一部がこう表現されたということなのかもしれない。給与が上がると信じられたということもあっただろうし、実際、その安心感や余裕があったから、人の仕事ぶりを見て正当に評価したり、その人を引き上げたりしやすかったのではないか。

 それが低成長時代に入り、また人口ピラミッドが紡錘形になってきたことから、給与が上がりにくくなった。それで、(これまでもそうだったのだが)職務遂行能力がある上にコミュニケーションが上手な人だけが評価されるようになり、差が鮮明化したのではないだろうか。

 ちなみに、年功主義制度から成果主義制度に移行した理由を、各企業は日本経済が成熟して成長が鈍化したので、とか、より高いパフォーマンスを発揮する社員により多く配分するために、とか言っているが、改めてあれは真っ赤なウソだと思う。私も前職でその悪行に加担した責任があると折につけ反省しているのだけれど、成果主義制度が導入されたのは、単に社員の高齢化・高賃金化に企業が耐えられなくなったからだ。
 成果主義制度導入がブームだった頃、多くの企業は、トップスピードで出世する一握りの社員は従来の賃金水準を上回るように、その他大勢の社員は平均的に業績を達成しても、ひと世代上の社員の賃金水準には到達しないように賃金を再設計してしまった。すなわち全体では人件費を抑える設計である(社員説明会の賃金カーブは従来以上に見えるが、実際多くの社員がたどる賃金カーブは従来より低くなる)。さらに、新賃金カーブを上回る高齢社員の賃金を段階的にカットしたが、すべて間違っていると言わざるを得ない。目先の人件費を削るのが主目的で、大局観がないから、若者〜中堅層の賃金は据え置かれた。また、せめて高齢社員の賃金だけでも維持すれば、資金の世代間移転や家庭レベルの消費喚起ができたはずだがそれもできない。その上、長時間残業が前提の働き方、女性にばかり家事・育児負担を強いる勤務体系はそのままだったから、晩婚化・少子化→内需市場の減少につながった。非正規社員という概念を作ったのもそれに拍車をかけた。

 実際問題として、寡黙な人や一匹狼はそれだけ他者や社会から得られる情報や知識も限られるので、業績が上げにくいということはあるだろう。しかし、そういう人も認められる社会のほうが豊かな社会であるはずだ。
 多様性は結局非効率で、多様性がもたらす豊かさは資本主義的に言えば無駄でしかないということだろう。資本主義化が進み、また少子高齢化にじわじわと息の根を止められている日本に、その多様性の実現を望むのはもはや不可能だ。

 日本人の給与が上がるには、というか日本の物価が適正に上がっていくにはどうしたらいいかととつらつら考えていたことと、落合氏のツイートが融合した。雑で主観的な考察なので粗はたくさんあると思うけれど、ガス抜きとしてアップする。


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