誰も知らないのだから 始めてみればいい わたしも結末は知らないのだから大丈夫
飲めるの便利だし 飲めないと不便
私が嘘つきだから 口から吐いた言葉に抵抗したい身体がちがうだろ、と悲鳴を上げる それでもわたしはその声に耳を傾けないし、 気のせいだからとやり過ごす 誰もわたしを信じない。わたしですら信じていないのだから
吐き出したいことが何も浮かばない あるはずのひとつひとつにクリーム色のカーテンがあって あるのはわかるのに向こうがわがわからない そのやさしい色のカーテンは いつだって平和と現実の隣り合わせ いつだって崩れた時にしかわからない平和
とても無駄なアクションをしたこと、ストレスになったことを彼女は気づいているのだろうか またあの時…と言われる日々が来るのが恐ろしい 今度はいつまで続くだろう
そんなにセンチメンタルになれるのか 私にはまったくわからない
私個人がすごく男の子に生まれたかったわけではないけれど、女でなければ母の劣等感や不満を全力で受けることなかったのかな と思うと私は尚、自分が親になれる気がしない。 望まない生はなければいいのに どのタイミングにせよ
わたしが立てた波だからわたしがどうすることも今後関わることもできないけれど、どうか大きなストレスにならないでほしいと思うのはやっぱり都合が良すぎるのかもな。 何か伝わっただろうか、やり過ごされたのではないか。 それほどの反応の薄さにも関わらず、今まで楽しかったことへの期待を捨てることができていない。 期待って、どうしたら置いておくことができるのだろう。 持たなくても捨てなくても良い。置いておきたい。
出会って間もないような時にもすぐに、 コレコレはどうなのか、と尋ねてくる人がいる。 人によりますけどねぇ… と話を濁すのが主だけれど、しつこい人もいるのが厄介。 私の知識も技術もタダじゃないぜ、と思いながらも、ある種自己顕示欲みたいな気持ちが出てくるのもまた厄介。 そしてそんな人は結局大した興味もないので、話しただけ無駄になるのも経験済み。 たまにきちんと響く方もいたりして、じゃあやめられないじゃない、、と思うけれど、それはそれとして搾取されないように気をつけていかな
おとなだからさ、自分で解決したらいいと思う。 できることを考えればいいし、できないなら解決法を探せばいい。 絶対迷っちゃうから早めに行動する、とか。 がんばってんな、って思うからお手伝いしたい気持ちも生まれると思う。 そこをさ、勘違いされては困るのよ。
人生設計をたてたことがない。 やって欲しかったんだろうけども。。 旅程はたてることもあるし、崩れても気にならない。 けれど、こと仕事となると立てたいし、達成したい気持ちも大きくなる。 隠れ完璧主義が登場する。 なんだろうか、 タスクをクリア(! というようなことを)していくのが楽しいし、計画通り終えられた時も、イレギュラーがあったけれどこなせた時も、得られる達成感がうれしいのかもしれない。 一方、そこでネックになる同僚の存在。 色んな人がいるのももう知っている。 相性
おもむろに(あーねって思う、) 徐にnote書き溜めていくほうするのも悪くないのかも、と思った。 ので、久方ぶりにnoteにアクセスしてみたところ、今年の総括みたいなことになってるし、読んじゃう。 みなさん興味深いことで、さすがだな、、と思う。 ハッシュタグを選ぶ段になり、 あぁ、私はこんなことを書いていたのか と自覚をして、 ちょっと違うかも。 と戻ってきた今。 日記か、エッセイか私小説か そもそも誰が境界つくったん?なくくりの中、 誰も見ないし。の前提をなくしたとこ