見出し画像

「断捨離」考 ~「断捨離」で人は幸せになれるのか?そんなのその人次第だろう?

「断捨離」について考える。

断捨離 - Wikipedia

Wikipediaの記事によれば、ミニマリストとは違うという。

ミニマリストは「最小化」
ダンシャリアンは「最適化」

との記述が。

ミニマリストは[最小化]こそ[最適化]だという考えのはず。上記のやましたひでひこ氏の説明は、私は納得がいかない。

「断捨離」の考え方そのものは、ヨガや仏教思想からくるもの、とされており、初出は『ヨガの考え方と修業法 上巻』だという。調べてみたら、Wikipediaの記述と、書名が違った。

これだからWikipediaの記事は・・・「ヨガの考え方と修行法」は副題だった。

『ヨガ総合健康法 上 ヨガの考え方と修行法』(沖正弘 竹井出版)

ではじめて「断捨離」という言葉が用いられた。

断:新たに手に入りそうな不要なものを断る
:家にずっとある不要な物を捨てる。
:物への執着から離れる。

断捨離 - Wikipedia

わかりやすい。武道における「守破離」に通じるものがある。

これをもとに、作家のやましたひでひこ氏が「メソッド化」して大ヒット。

いいと思う。

でも執着から離れて、ほんとうに幸せになれるのかというと、それはその人次第であって。そもそも幸せなんて個々人の感受性の問題で。

断捨離すれば誰でももれなく全員幸せになれるっていう「原理主義」を、私は強く否定する。

「断捨離」に違和感をおぼえる私は、断捨離の何がダメなんだろうと、自分でも明確に言語化できない点が多々あって。

2024年6月時点でいえることは、以下の通り。


「断捨離」への疑問

中々捨てられず困っている場合に、部分的に「断捨離」の考え方、メソッドを利用させてもらう、というのは、すごくわかる。いいと思う。知らず知らずのうちに私も「断捨離的なこと」は、それなりに実践している。

でも、

「断捨離」の考え方に共感し、日々ずっと「断捨離」のことばっかり考え、行動しているなら、

それ、「断捨離」に執着して、とらわれているってことになりませんか?

いやそれで、幸せを日々感じられるなら、その人にとってはそれでよいのだけれど、皆誰でもそうなれるっていう印象操作はどうなんだろう。

後付けで色々説明が増えていって、断捨離は更に進化、あるいは深化しているのかも知れないけれど、

「断捨離」に執着した生き方は、ぼくはいやだなあ。

他にもあるんだけれど、でも明確に言語化がまだできない。


この記事は書きかけで、まだ断捨離への理解が深まれば更新します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?