整理整頓は要・整理整頓の要
いちど人生に躓いて、じぶんの人生を変えたい、逆転させたい、でも立ち上がれない、そんな人たちを応援する事業を立ち上げようとしている。
「整理整頓」というワード、あるいは概念は、そのための要ともいえるものだと、仮定しよう。
以下は、私淑する読書猿氏のブログ記事からの引用である。
これは、もちろん身の回りの物品の話である。
しかし、この原則は、いまの人生を何とかしたい、変えたい、と願う人全員が参考にすべき原則だといえる。
だからこそ、実際に自分の身の回りの持ち物を教材として「整理整頓」を学ぶ、訓練する、という行為は、理に適っている。
ところで、頭文字がSPACEとなっていることに着目したい。
単なるダジャレではない。
考案者は、ジュリー・モーゲンスターン(整理整頓コンサルティング会社「ジュリー・モーゲンスターンズ・タスク・マスターズ」創業者オーナー)氏。うまいこと考えたな。しかしこれはとっても役に立つ。
一時期ブームになった「断捨離」に通じるものがある。ただ私は「断捨離」というものを、どこまで本質を理解できたかわからないが、それも含めてすぐに挫折した。
でも「SPACE」は、私の中にすっと入ってきた。腹の底で理解できた。
たとえば人間関係。
Sort(分類する):
役に立つ/立たない、という基準で交友関係を選ぶ人たちが一定数いる。コイツは使える、使えない、と。そういうエセ友人は「偽友」フォルダに入れておこう。
お金の貸し借りはどんな友人ともしてはいけない。家族であってもだ。お金の貸し借りを言ってくる連中は、どんなにいいヤツだとしても、たとえ親族であっても「敵」フォルダに入れておくことを強く推奨する。我が家の先祖代々の教訓でもある。
何の役に立たなくても、一緒にいるだけで、笑顔になれる。一緒にいるだけで、一緒にいてよかったと思える。一緒にいなくとも、絆を感じられる。そんなメンバーにだけ囲まれて一生涯、生きていくことは困難ではあるが、
もしそんな人と出会えたら「友」フォルダに入れておく。
血がつながっているからって、無理やり「家族」フォルダに何でも押し込み苦しむ必要なんてない。
家族でも、わかりあえない、絆を感じられないなら「偽家族」フォルダを作っていい。逆に血がつながっていなくても「友」フォルダの中には、更に「家族」扱いされる人物が存在するかも知れない。
家族はひとつでなくていい。そう「親友」フォルダはその中にある。
フォルダの中が空だって?そんなの気にするな。これからこれから。
Purge(処分する):
誰しも自分の「器」というものがある。もちろん訓練や人生経験などを経てその器は変容していくのであるが「キャパシティ」と言い換えるとイメージがしやすいだろうか。
限られた時間で、限られた精神力・体力で、じぶんの器で相手できる数は限られている。
自分の成長や幸福に不要だと思う人に無理に時間や労力を割くのはやめよう。それが難しいようでも、可能な限り最小化していくことはできるはずだ。
Assign a home(場所を決める):
あちこち散策したり、旅行したり、そういった事も感性を刺激する、ストレス解消、という意味で大切である。
ただ、「居場所」があることで人は安心できる。世界中を旅して回る人たちにとってはきっと「地球が居場所」って感覚なんだろうな。うらやましい。私には難しい。
「いつもの場所」があると、やっぱり人生が潤う。いつもの場所があると、そこに集う人たちとの絆は自然とできる。できなかったらさっさと処分すればよい。
心安らげる「居場所」を自宅以外にもうひとつ、持っておくとよい。
自宅に居場所が無い?それなら、ますます「居場所づくり」は緊急性を増してくる。
私もいつか、私やあなたにとってそんな場所になり得るものをつくりたい。
Containerize(収納する):
この場合の収納とは、上記の居場所に呼ぶ、ということになる。気の合う仲間と、いつもの場所に集まって、同じ時間を過ごす。
押し込めておくのとは違う。
例えばある高齢者は、毎朝、整形外科に通う。もちろん持病の腰痛のリハビリのためでもあるが、いつもの顔なじみに会うためだ。
Equalize(整える):
人間関係を整えるとは、とても抽象的な表現になってしまうが、ざっくりいえば「距離感を大切にする」ということだ。
親しき仲にも礼儀あり
という格言は、古来ゆるがない原則だ。
相手の悩み相談を受けるのはよい。
しかし、話を聞いたからといって、あなたが相手の人生にどこまで踏み込んでよいのか。
その距離感を間違えると、あっという間に人間関係は壊れる。
もちろん人間関係とは距離感だけが全てではないが、重要なのは距離感だ。この感覚をミスすると、何だコイツ、という不快感が生まれる。そこから崩れていくケースを何度も見てきたし、経験もしてきた。
人間関係の「SPACE」だけで人生が大きく変わるわけではないけれど、少なくともQOLは向上するのではないか。
整理整頓の急所は「SPACE」。
そして整理整頓とは、身の回りの所持品だけの話ではなく、人間関係や人生そのものに応用できるものだし、
人生を変えたい、逆転したい、ともがいている人にとって、
整理整頓とは、要となるものだ。
この論を、今後も更に追究していく。
小学校6年間、通信簿の「整理整頓ができる」という項目だけ見事に「努力がいる(3段階のいちばん下)」だった私。
コンプレックスもあるのだろうけれど、
整理整頓が得意な人に対する羨望と嫉妬が入れ混じった複雑な感情がある。
そんな私だからこそ、あえて、整理整頓について追究していく意義はあるんじゃないか。
ステップ1:身の回りの所持品の整理整頓
ステップ2:日常生活における「習慣」の整理整頓
ステップ3:人間関係の整理整頓(転職・転居を含む)
ステップ4:人生そのものの整理整頓
終活という意味ももちろん含むけれども、私がこれからやりたいことは、人生に一度躓いて立ち上がりたいけれどひとりでは立ち上がれない、という人たちを支援する事業だ。
より良い人生とは何か、その人にとっての幸福な人生とは何か
そんなものは、答えは1つではないし、幻想なのかも知れない。
自分らしく生きる
なんて、まさに幻想だ。
しかし、その幻想を追い求めて、最後まで笑顔で生き抜くことができるなら、
それでいいじゃないか。
実現できたらもっといい。そうしてまた次の幻想を生み出して追いかければいい。
幻想とわかっていて、少しでもそこに近づく過程を楽しめるのならば、生きる意味を自ら生み出せたことになるじゃないか。
それを「夢」とか「目標」という言葉にするとすぐに「きれいごと」と嘲る人がいるので、幻想と言っているけれど、
夢とか、目標とか、全部、まやかしで、ハッタリで、方便でよいのだ。
でっちあげでよいのだ。
それに向かって進んでいくプロセスを七転八倒しながら楽しみ味わい尽くせるならば、
それでいいのだ。
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