日経アートアカデミア「ベートーヴェンと現代Ⅳ」 楽聖のピアノ・トリオ、ソナタの魅力 ~金子三勇士・木野雅之・伊藤悠貴~
大変革の時代を生き、その作品に投影した楽聖ベートーヴェン。生誕250周年となる今、彼の生涯とその作品の偉大さを伝えるオンライン講座「ベートーヴェンと現代」シリーズの最終回として開催されたコンサート。プログラムはそれぞれ演奏機会が比較的少ないものをあえて選び(バイオリン・ソナタ以外)作品の逸話や演奏の裏話など解説を挟みながら少しずつ演奏し、紹介するというものでした。
このコンサートは配信に向けた公開収録として開催され、筆者は配信のみ観覧しました。配信期間が長いのでこれからご覧になる方もたくさんいらっしゃるかもしれませんが、この記事は解説部分などのネタバレ(?)も含みますのでご注意ください。
クラシック音楽初心者が、勉強がてらコンサートの余韻を味わう目的で残す、備忘録に近いコンサートレポートです。
今回の音源は主に金子三勇士さんがSpotifyで公開されているプレイリストから拾ってみました。
プログラム
ベートーヴェン:
バイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調「春」作品24より 第1楽章
チェロ・ソナタ第5番 ニ長調 作品102-2 より第1楽章
ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 作品31-2「テンペスト」
交響曲第2番 ニ長調 作品36(ピアノ三重奏版)
<出演>
金子三勇士(ピアノ)
木野雅之(バイオリン)
伊藤悠貴(チェロ)
公演日:2020年11月27日 (金)日経ホール
配信:2020年12月23日 ~ 2021年12月23日(視聴期間は購入から1週間)
木野雅之さん、伊藤悠貴さんと金子三勇士さん
木野雅之さん(バイオリン)は93年4月から日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスター、また東京音楽大学をはじめいくつかの音楽大学で講師をなさっているという方。東京音楽大学を卒業された三勇士さんは直接師事することはなかったとはいえ未だに先生という存在なのだそうで、コンサート中もあまりに自然に”木野先生”と呼んでいらして、おふたりが並ぶと先生とその愛弟子の学生のようでした(笑)。筆者は勉強不足で木野さんを存じませんでしたが、実は拝見していたことが判明!昨年9月のこちらの講演で共演されていましたね。(しかも木野さんはコンサートマスターなのでピアノのすぐ後ろという、とても近いところに)
伊藤悠貴さん(チェロ)は三勇士さんと昨年「みゆじックアワー」で初共演されています。今思えばこの収録のほんの2ヶ月ほど前だったのですね。また息ぴったりの共演を観ることができて嬉しいですね。初共演の時の告知動画を貼ってみました。
バイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調「春」作品24より 第1楽章
木野さんと三勇士さんはピアノ協奏曲などでの共演はあっても、室内楽では初共演だったとのこと。2020年は暗いニュースが多い中、木野さんは気分を明るくするこの作品を演奏することが多かったのだそうです。ドイツの長く寒い冬が終わり待ちに待った春がやってきた情景と、その喜びがうまく表現されている作品なのだとか。今回の選曲は木野さん・三勇士さんおふたり揃ってこれぞ!と以心伝心で提案した作品だったようです。
筆者は演奏が始まって最初の一音で衝撃を受けてしまいました。バイオリンとはこんな音が出る楽器だったでしょうか!?あまり多くを聴いてきたわけではないですが、これまで聴いたバイオリンの中で最も美しいと感じたものでした。筆者には澄んでいるのにリッチで、伸びやかにどこまでも遠くに余韻が響いていくような音に感じました。もしホールで聴いていたら、しばらく息をしていなかったかもしれません(笑)
三勇士さんの演奏はピアノ・ソロでも優しく温かい印象を受けることが度々あるのですが、今回ひときわ温かく安心するようなものに思えて、共演者の方たちへの思いやりが表れているのではという印象でした。バイオリンの透明感ある伸びやかな音と三勇士さんの温かく優しいピアノの音がとてもバランス良く、作品の多幸感をたっぷり味わうことができました。
演奏前後で紹介されるそれぞれの楽器目線での裏話などは楽しく興味深いもので、講座という名前からどれだけ堅い雰囲気のものかと構えてしまいそうでしたが、和やかないつもの雰囲気だったのは進行役の三勇士さんだからこそではないでしょうか。木野さんも良い意味でその経歴を感じさせず、気さくでとても聞きやすいお話をされていて、さすが大学で教鞭を執られている方というかんじでした。木野さんにとって今回は第1楽章だけ演奏するという珍しいコンサートであることについて「料理が出てきたのに少し食べたらすぐ持っていかれたかのよう」と表現されていたのも微笑ましいシーンでした。
音源は三勇士さんのプレイリスト「Breakfast BGM」から。
チェロ・ソナタ第5番 ニ長調 作品102-2 より第1楽章
全部で5つあるベートーヴェンのチェロ・ソナタのうち代表的なものといえば第3番であり、演奏機会が少ないという第5番。ベートーヴェンの作品の中でチェロ・ソナタはその作曲時期に大きく開きがあるのが特徴的なのだとか。ベートーヴェンが若い頃に作られた第1番・2番に対して最後のチェロ・ソナタである第5番は晩年に作曲され、その間にピアノ、バイオリン、交響曲など他の楽器の多くの作品が挟まれているという。実際に今回演奏される各楽器のソナタは時系列でみると(作品番号Opusで)バイオリン・ソナタ第5番「春」Op.24、ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」Op.31、そしてこのチェロ・ソナタ第5番 Op.102であり、時の流れに意識して聴いてみるとさらに興味深いものになるのではという伊藤さんのコメントでした。(ちなみに筆者は作品番号102-2の”-2”がまだ謎です...)
前回のコンサートでおふたりは音楽的な気も合うと仰っていましたし、今回も演奏を楽しんでいるように見えました。同い年でもあり息ぴったりで、まるで子供の頃から一緒に音楽をやってきた「同志」の雰囲気が漂うようでした(笑) 少し調べてみると伊藤さんはラフマニノフの演奏で著名なようですね。昨年末にオール・ラフマニノフ・プログラムの公演をされている情報を横目で拝見していたのですが、三勇士さんとオール・ラフマニノフ・コンサートなんてあったら素敵ですね!
コンサートではCDなどではわからないリアルな音が聴こえるのが筆者の楽しみのひとつなのですが、ここでもチェロが勢いよく音を出す時に聴こえる弓や指の音など、今まさにここで演奏しています!という生きた音がして味わい深いものでした。ホールで鑑賞するとさらに楽しめるのでしょうね。
そして初心者にはチェリストがピアノに背を向けたこの配置が不思議で、あえてアイコンタクトしづらい位置で演奏する理由が何かあるのかと考えてしまいます。毎度キテレツな発想かもしれませんが、もしかしてオーケストラの配置と関係あるのでしょうか?だいたい舞台の真ん中にいるチェロが正面を向いていて、木野さんがバイオリン・ソナタで立っていた位置は第1バイオリンで…そのルールを守らなければならない何かがあるのか…?と考えを巡らせていました。筆者の宿題です。
音源は三勇士さんのプレイリストによく登場するピアニストのひとり、アンドラーシュ・シフさんのものより。
ちなみにアンドラーシュ・シフさんは三勇士さんと同じハンガリー出身、リスト音楽院を卒業された方のようです。三勇士さんにとってどんな存在なのでしょうね。そのときは意識して見ていなかったのですが、昨年9月の「クラシック音楽館」で”現代最高峰のベートーヴェン演奏家”と紹介され、ピアノ・ソナタ第30番を演奏されていました。(録画しておいてよかった…)
ちなみにWikipediaでは輝かしい経歴の中に突如目を引く一文が…。
ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 作品31-2「テンペスト」
ここでベートーヴェンとハンガリーのつながりを紹介されていた三勇士さん。ハンガリーの英雄的存在である作曲家&ピアニストのリストはチェルニー(ツェルニー)を介してベートーヴェンの音楽の教え・考え方を直接学んだ孫弟子にあたり、ベートーヴェンを音楽家として敬愛していたという。リストがピアノ・ソナタを2つしか残さず、交響曲についてはひとつも書かなかったというのは、尊敬する偉大なベートーヴェンに対して僭越だと思っていたからではないかと言われているのだとか。ふたりのコネクションは強く、ベートーヴェンもリストを気に入っていたという逸話があり、リストが6歳のころベートーヴェンの前でピアノを演奏し、それを気に入ったベートーヴェンがリストのおでこにキスをしたというエピソードがあるのだそうです。
「嵐」という意味をもつ「テンペスト」。このタイトルは演劇に由来していて、曲の構成としてもオペラや演劇の演出のようなものが感じられる、ピアノ・ソナタとしては個性的な作品とのこと。タイトルはベートーヴェンが作曲の際にイメージしたものではなく、完成後出版のためにどんなタイトルを付けると良いかと弟子が尋ねたところテンペストと答えたものだという。三勇士さんの説明では「テンペストでいいんじゃないかなと答えた」という表現でしたが、筆者が読んだいくつかの本の中では「シェイクスピアのテンペストを読め」と、だいぶぶっきらぼうに突き放されています(笑)。この逸話は記録に残っているわけではなくいろいろな解釈があるようですが、こんなところにも三勇士さんの優しさが…。
この作品は終わりかたが特徴的で、最後は三勇士さんが解説するように「あれ?」というところで終わります。前述のとおり演劇のようだとすると、この終わりかたはあえて結末を見せずに観客に想像させるストーリーのようですね。筆者には冷静で洗練されていて人生を達観したようなものに思えて、晩年に作曲されたものではと思っていた作品なのですが、ベートーヴェンの人生の真ん中くらいのものだったのですね。少し調べてみると同時期に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いていると知って、そのイメージの理由がわかった気がしています(?)。
この日の演奏は凛と澄んだ、ちょうど今ごろの冷たい冬の空気を彷彿とさせる印象でした。そしてチェロで聴こえた音と同じように、ペダルを踏む音(と思われるもの)と指が鍵盤にあたる音(のようなもの)など、生きた音が聴こえてライブ感を満喫していました。配信でも聴こえるほどホールの音響設備が良かったということでしょうか??
リンクはプレイリスト「Beethoven 2020」より、再びアンドラーシュ・シフさん。
交響曲第2番 ニ長調 作品36(ピアノ三重奏版)
この曲はベートーヴェンの作品の中、また室内楽全体と比べても個性的なものなのだそうです。
まずこのピアノ三重奏版は交響曲を制作した後に作られていて、唯一ベートーヴェン自らが編曲したといわれている交響曲だという点。ただベートーヴェン本人が編曲したという痕跡がなく、またその目的も記録にないことから、研究者の間でも本当に本人によるものか疑うようなものなのだとか。木野さんの解説によると、ピアノ三重奏版が作られたのは当時の室内楽などでよくあったように予算や演奏会場の広さに合わせる必要性を考えてのことだったのではないかということでした。
そして伊藤さんによると、この作品のチェロは音が多く、チェロが入っている室内楽では珍しくずっと弾いているとのこと。バイオリンにとってもじっくり旋律を堪能しながら演奏するという余裕がないほど忙しく、気が抜けない曲なのだとか。ピアノはオーケストラの様々な楽器をピアノに無理に詰め込んだかのような忙しさで、もともとピアノ用に作られた作品ではないことから目を疑うような音域の飛びかたをしたり、スリル満点の演奏になるのだとか。三勇士さんによると、ベートーヴェンが作曲した当時は現代に比べてピアノが小さく鍵盤も狭かったために実現できたことであり、それを現代のピアノで再現することはさらに演奏を難しくさせているのではとのことでした。
バイオリンはコンサートの最初から最後までその美しく豊かな音に心奪われていて、伊藤さんはサッと弓を引いてキレよく音を切る姿が騎士のようにかっこよく、三勇士さんは表情がいつもと違いますね!真剣に楽譜を見ている表情から三勇士さんの幼少の頃の演奏風景(YouTube)が思い出されて、緊張感ある状況に反して微笑ましい気持ちで見ていました(笑)いつもの穏やかさだけでなく、真剣な表情も素敵ですね。
音源は三勇士さんのプレイリストにも登場している(ピアノ協奏曲第4・5番で)マエストロ・バーンスタイン&ウィーンフィルのオーケストラ版で違いを楽しんでみることにしました。その中でも三勇士さん曰く、三重奏編成ではアイコンタクトの余裕もなくなるほど大忙しだという第4楽章。意識して聴いてみると三重奏は軽やかでさわやか。盛り上がる部分はオーケストラの音の厚さがみんな(特にピアノに)に託されているようすが興味深いです。
最後に
前回の記事と同じようなことをまた書いてしまいますが、筆者にはベートーヴェン生誕250周年に申し合わせたように世界中がコロナ禍に遭ったのは「この状況でも知恵を絞り、私の音楽を鳴らし、疫病を乗り越えてみなさい」というベートーヴェンからの挑戦状、かつ応援メッセージに思えて仕方ありません。いま音楽家たちがライブ配信やソーシャル・ディスタンスを取ったコンサートなど知恵を絞り、ベートーヴェンが音楽に大革命を起こしたようにそれまでの常識を破り、その挑戦に応えている姿を200年の時を経て見守っているのではと妄想してしまいます。
そんな時代の変化はわくわくしますね。さらには三勇士さんもまだ新しい企画がありそうで、何が出てくるかわくわくしています。
プレイリスト
この記事に登場した金子三勇士さんのSpotifyプレイリスト「Beethoven 2020」「Breakfast BGM」を貼ってみます。