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自分で決める

数日前からずんずんさんという方のブログを読む事がある。

自分で決めてやってみる事。
うん、すごく大事な事だなと実感している。

重い内容にもなるので、疲れている方は読まない事をオススメ


私は本来、絵を描いたり何かを作ったりすることが好きだったし、今も好き。
こうやって文章を書く作業も考えながら自分の思っている事を再認識できるのと、気持ちがまとめられる感じが割と好き。


高校3年生の頃に、もういよいよ進路を決めなければならなくなった。
わたしにとってこれは地獄で、ここで決めたことを大人になってもやらなければならない。
そんな地獄を“自分で決める”ということだった。

センター試験を受ける関係で、集中して履修する科目をどこまでにするかとか、日々の共通テスト(正式な名称は忘れた)で自分のなりたい職業別に合わせて受験可能な大学の自分のランク(A〜Fとかだった)がどのへんだとか。

そういった結果では、
わたしの
“家族の満足のために言っている夢”
は進路として厳しいですよ。
それが結果だった。
当たり前だ、夢でもないのだからそれに沿った勉強量は伴わないし、叶えたい気持ちもないのだから。

だが、急に自分の本当はしたい好きな事を言う事は出来なかった。
元来からその仕事の人がテレビに出た時

『こんなもん金にならん。アホや』

という言葉も聞いていたし、うちの家族は自身の思っていることに反したものに対して、反論を言いねじ伏せるのがパターンだったから。
自分のものさしがあくまでも正しくて、それ以外は正しくないし、頭がおかしいという理論がある。

結局わたしは、
やりたくないけど少しランクを落として
“やりたくもないが同じ系統の職種になるため”
の進路に変更した。
担任に泣きそうになりながら、そっちにします。
そう言った。
(多分、担任はわたしがそういう事情での変更だった事はしらないだろうけど)


そしてわたしは、今も紆余曲折あったがその仕事をしている。
嫌でも、年数経てばそれなりに知識は増えるし生活をするためには利用しやすい仕事ではある。
なにより資格があるので、ない人からするとうらやましがられる。

嬉しくなんてないけれど。

今は副業も許可される、ある意味いい時代にはなった。今から色んな仕事に挑戦できるガッツのある人もいる。

やはり高3のその件以外にも
“家族の満足のために”
が先行して決めてきたからか、自分で何かをしたい欲があまり出ない。
何かをしたいと思っても、行動に出なかったりする。
自分の本当の気持ちを抑える手順が染み込みすぎて、まるで自分がない事が多い。

褒められたいために頑張ることもある。
でもその欲を満たしたいためにしていて、歳をとってもまるでずっと子供みたいな事をしてしまう。

〈あぁー、またやちゃった〉

そう思うが、またやってしまう。


昔よりは気張らなくなった気もする、多分。


また高校のあのタイミングに戻れるのならば
美大に挑戦したい。
あの家族環境にも戻る勇気はないけど。
やっぱり若い時に備わる
挑戦する気持ちとか気力とか、経済的な援助ってあるから。

美大ではなくても美術を習いたいが、調べると結構お金もかかる。
そのうち調べることも忘れる時間もあってわたしの気持ちってその程度なのか、普通の人ってもっと行動に移すのかなど考える。
もし美大に行ったとしても、もしかしたら絵が上手くなりたい欲を満たしたかった自分に気づくだけかもしれないし、絵の面白さにさらに胸をときめかせて、追求している自分も想像できる。

ただ大事な事は、自分で決めること。

それが何より人生で大事なことにつながる。

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