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日常がつまらないと思う理由

私はずっとつまらない人生を過ごしてきました。それはなぜか?無関心だったからです。何事にも無関心だったように思います。

無関心って感情が動きません。私たちは本来、感情の生き物です。豊かな感情が日常を彩ります。それは悲しいことや辛いことも含めてです。なぜなら、ネガティブな感情がなければポジティブも感じないからです。

たとえば日々の中で、お水を好きな時に好きなだけ飲めれば、そこに感情は動きません。でも、何かしらの理由でお水が自由に飲めなくなると、一杯のお水がとてもありがたくて嬉しいものになります。しかも、そのお水は恐らく今までのどんな豪華なごちそうより美味しく感じるでしょう。

悲しい出来事があったから喜びを感じられ、辛い出来事を乗り越えられたから幸せを感じられます。

長く無関心だった私は、自分からアクションを起こすことがほとんどありませんでした。旅行も飲み会もお食事も遊びに行くのも、すべて誘われて行っていました。なので自分から感情を動かすことがありません。

なにごとにも無関心

厄介なのは、無関心でも起こった状況に対しては反応するので、自分が無関心なことに気づきません。

たとえば合コンに誘われた場合
(今は合コンってないですかね?男女の出会いのための集いの場です。)
⇒なんか期待ハズレだと誘ってくれた人のせいにしてしまう
⇒素敵な人がいたり盛り上がれば⇒それなりに楽しさを感じる
⇒誰かがマッチングすれば⇒なんであの人ばかり良い思いするの?とひがむ

書き出していると本当に性格悪いイヤな女になっちゃいますが、合コンだけでなく全てにおいて、それが私でした。

最大に厄介なのは、無関心は学習しないことです。私は自分のことしか考えていませんでした。だから幸せに生きている素敵な人にも無関心だったのです。あこがれの人は男女問わずいませんでした。ステキな女性に関心があればマネすることもできたのでしょうが、無関心では学習して自分を高めることも、悪い所を見つけて改善することもできません。

そうすると楽しさは誰かが誘ってくれる一瞬だけ、自分から動くことはないのでそれ以外はずーっとつまらない人生の出来上がりです。

無関心から抜け出すきっかけは40才も後半になった頃の、中学生のような片思いです。自分からアクションを起こしたことのない私が、ほぼ初めて真剣に強烈に魅かれる人に出会ったのです。傍から見れば喜ばしいことかもしれませんが、私にとっては悲劇でした。

経験したことのない片思いは悲劇であり恐怖

恋愛といったら、好きになったら負けの駆け引きゲームくらいに思っていたので大きく感情が動いたことがなく、どうしていいのか分からなかったのです。自分のことしか考えていなかった私にとって、相手がどう思っているのか?考えることは恐怖でしかありませんでした。

一緒にいると経験したことのない幸福感を感じますが、その何倍もの時間、他の人としゃべっている所を見るだけで嫉妬します。「嫉妬」という感情もほぼ初めてでした。自分に自信があったわけではなく、自分のことしか考えていないので他の人に嫉妬することがなかった、という悪い意味です。

多くの人が経験しているであろうことなのですが、無関心だった私にとっては経験したことのない感情が一気に噴き出たような感覚です。感情の扱い方も分からず、自分でコントロールすることができません。

なんで今さらこんなことになってしまったのか?責める人がいないので、何度も神様を責めていました。当たり前ですが神様を責めても、事態はなにも変わりません。

自分の今の感情を知る

でも本当は、一瞬で自分を幸せな方向へ切り替えることができます。幸せの方向がどっちなのかさえ分かっていれば、切り替えるのは車のギアチェンジくらい簡単にできることです。

そのためには、日常から自分の感情を知っておく必要があります。今、自分はどう思っているのか?無意識でも人は必ず、その瞬間に何かしらの感情を抱いています。それに気づくことが重要です。一日に何度か自分に問いかけてみてください。「今、私どう思ってる?」

瞑想をして第3チャクラを整えることも効果的です♪

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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