学校の教育と”人々の幸せ”

学校をよくするために
子供たちをよくするために
全国津々浦々の学校で心血を注いでいる数多の先生方がいます。

私の身の回りにもそうした先生方がたくさんいました。今なお、そうした先生方が子供たちのためを思って、熱い思いを交わしているはずです。

私は、日本がバブルの狂乱に踊ることを横目で見ながら教師の道を歩みだし、長い年月を教育の場に身を置いてきました。

その年月で目にしてきたことは、教育者が、素晴らしい実践を重ね、そのことに学んだ多くの先生方が、それぞれの現場で実践を積んでいた姿であり、決して戯(たわ)けた姿ではありませんでした。その一つ一つは、どれも価値ある取り組みであったと思います。

アカウント名の「天邪鬼の眼」というタイトルにあるようにこうした教育界にあって若干⁈天邪鬼気質な私は、しっくりこない疑問とも言いにくい何か晴れない霧のようなものを抱き続けてきたことがありました。

それぞれの学校では、先生方の努力で積み上げられた素晴らしい実践があり、素敵な物語が、先生と子供たちの間で紡がれてきたことでしょう。(そうした例ばかりでもないかもしれませんが…)そして、このことはとても尊く、貴重なことだと思います。

数多の先生たちが、子供たちのよりよい成長のためにかけがえのない時間を子供たちのために注ぎ、研鑽、研究を重ねて取り組み、実績を積み上げてきたにも拘らず、社会はそこで生活をする多くの人々にとって、暮らしやすい明るく温かい幸せな世の中になったのでしょうか?

生活が豊かになり、
社会で暮らす人々、一人ひとりが幸せになる世の中が
到来してこないのはなぜなのか?

そんな疑問が、ずっと晴れない霧のように私の心に横たわっていました。

『天邪鬼の眼』からの眺め

『失われた30年』という言葉があります。
バブル崩壊後の90年代初頭から現在までの30年の間に高度経済成長や安定成長が見られず、経済の低迷や景気の横ばいが続いていることを指しています。

なぜ、失われた30年が引き起こされたのかについて考察するだけの知識を持ち得ていませんが、問題を解決しない限り、失われた30年はさらに「失われた40年」になると専門家が指摘する危機感は庶民の間でも拭えません。

国民 の大多数が自分たちの暮らしぶりを中流階級だと考えていた一億総中流 という「 意識 」はすでに瓦解して久しく、富める者と貧しい二極化が進む非情な「格差社会」が到来しています。

このことは、子供たちの貧困が進んだ事例として、子ども食堂の著しい増加にも見て取ることができます。

「2018年以降は認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ、および地域ネットワーク団体調べ、2016年は朝日新聞調べ」

決して、熱意のある心ある先生、教育者もこうした世の中が来ることを決して望んでいたはずはありません。先生方が子供たちを思い育みたいと描いているものと現実の社会に大きなギャップを感じないでいられないのです。

子供たち一人ひとりのことを思い、良い授業をしよう、そして、良い子どもたちを育てようと多くの研究、そして教育実践がなされてきましたし、今もなされています。

そうした取り組みが子供たちのよりよい成長ともに「より良い社会」の実現につながっていかなければ、片手落ちのような気がしてならないのです。

「社会のことは、政治の話だから…」として切り離して片づけてはならないことだと思います。世の中の在り様は、政治と経済の問題だけでなく教育も含め、有機的につながる中で、世の中に暮らす人間の幸せが実現されていくべきなのではないかと思ってしまいます。

そのためには、学校現場で子供たちの育成に努める教職員も
政治に参画しているはずの私たち国民一人一人も
歴史を知り、政治を知り、世の中の仕組みを「正しく知り」
そこから滲みでる心情を根っこに「行動する」
ことが
重要なのではないでしょうか。

個々の学校や教室で、美しい物語が紡がれているのに、行き着く先の世の中が”暗く冷たい社会”であっては意味がない気がします。

それぞれの立場で、良き仕事を叶え、社会を良くしていかなくてはいけんませんね。


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