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7. 帰国して見舞う前の準備 <父を看取れば>

私の居住国では、11月の後半に4連休となる祝日がある。仕事は忙しかったが、3泊4日の旅程で帰国して、父を見舞うことにした。

一番の課題は、担当医師に「経鼻胃管」の抜管を頼み込むことだった。父は意思疎通はできていて、経鼻のチューブを死ぬ程(?)嫌がっていた。10月に誤嚥肺炎を起こして緊急処置を受けたのだが、その時(治療のために)一時的に抜かれた管は、肺炎の回復とともにまた挿れられてしまった。

勿論母は、その時この医師の方針 ーこのまま経鼻を継続、肺炎になれば積極治療をするー に難色を示した。しかしその反面、医師に逆らい続けて不興を買い「じゃあ、退院して自宅介護してください」と放り出されることも恐れていたのだ。

母の「自宅介護はできないし、したくない」という意志は固かった。私が「実家に数ヶ月泊まり込んで手伝うから」と申し出たにも関わらず、母の答えは変わらなかった。

帰国直前に私は、内科医の友人(日本人)に相談して、「担当医師との面談」に備える準備をした彼女は、まず経鼻胃管や、胃瘻、中心静脈栄養、末梢からの点滴などの各オプションについての短所と長所をわかりやすく説明してくれた。

その上で「治療法の選択に正解というものがないのか、なにを選んでも正解なのか、とても難しい問題だ」と言った。「自分や自分の家族だったら、経鼻からの栄養は長期にはしないかなと思う。自分だったら末梢点滴を選びたいが、勝手かも知れないが、家族だったらもっと長期的にそばにいたいと考えて別の選択をしてしまうかも知れない」とも語った。

彼女の思いやりのある、そしてプロからの意見を聞き、私はこう答えた。「『末梢点滴をして後は苦痛だけとってもらい、安らかに逝かせてあげたい』という考えがより強くなりました。『楽に逝かせてあげたい』は母も同じ思いで、父も同じように言っているそうです。しかしこの点は、帰国時に父に再確認したいと思います。母は何でも『父に訊くのはかわいそう。きっと判断できない』と思い自分で決めてしまう傾向があり、父もそれに従うことが多い...。でも、”父の最期”なのだから父自身の意向を最大限に優先すべきでしょう。

彼女から学んだことはもう一つあった。それは「医師や医療スタッフも人間です。患者さんやそのご家族からのリスペクトや信頼が、彼らのやる気を支えます。いい関係を築くようにしたら、施術や看護がもっとうまくいく」ということだ。

これは「重病患者」とそれを見守る「自分達」のみに考えが向きがちな、(患者)家族が心すべき点だとハッと悟った。「プロだから当たり前」、「どうせ他人事と思って割り切っているんだろう」という態度は、おこがましい誤りだ。彼らのサービスに感謝すること、スタッフに全てを丸投げにせず、自分達で調べられることは調べ、その上で真摯にコミュニケーションを図ることが、結局患者のQOLを上げるのではないかと思う。

日本に向かう飛行機の中で、私はもう一度、医師とケースワーカーさんとの面談に備えメモを書き直しつつ、頭の中でシミュレーションをした。

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