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6. 悪化する状態と父の変化 <父を看取れば>

N病院に転院して一ヶ月ほどした10月初旬。母から次のようなメールが届いた。「パパは高次機能障害で運動などは思う様に出来ません。
初めの頃に比べれば両手が少し動くし、足は左右動かせますが立って歩く事は不可能です。私やRちゃん(姉)が行くとにっこり笑って嬉しそうです。一応喋れますが、かなり聞きづらい。運動機能はこれ以上に成る事はない。
嚥下(障害)や麻痺・・・この状態が生きている限り続くと思うと辛いです。 少しづつ弱っています。何時まで生きるか分からないけど、お見舞に行って手を握って今を大切したいと思うのです。」

心を落ち着けて返事を書くまで、しばらくかかった。
努めて明るいトーンで「11月に休暇をとって日本に見舞いに行きます。パパの入院生活を少しでも明るくするために、どんなお土産を持っていけばいいか教えてください」というようなことを書いた。そして「くれぐれも無理はせず、疲れたらお見舞いパスして家で休んでください。元気でいてね」と結んで送信した。

その後のメールでも、あまりいい報告はなかった。「右目は(緑内障で)失明しており、左目も近くの物が見える程度。」「テレビや音楽花など眺める事はない。そういう事にはもう興味を示さず、ただうとうとしてる。」「リハビリは一日2回30分ずつやっているが、すぐ疲れてしまい、まったく進歩がない」等々。じりじりと状態が悪化していることが分かった。

唯一ポジティブだったのは、姉と父とのことだ。姉は小さい頃から体が弱く、父から疎まれていた。そのため精神的なダメージを負い、そこから立ち直るために大変な苦労をした。結婚して家を出た後の姉は、父に対して表面的には「いい娘」を演じてはいたが、心の中では父と距離を置いていることは明らかだった。

その姉が見舞いに来ると、父は母が来た時と同じように満面の笑顔を見せて喜んでいたという。姉は「今が一番パパとの関係が良く成ったように思う」と母に語った。あれだけ父に対し「忸怩たる思いを抱いてきた」姉がそんな風に思うほど、父からは邪気が抜けてしまったらしい。

父は、本当に変わったのだろうか。あのモラハラで自己中の父が!?と私はにわかには信じられなかった。もしかしたら脳梗塞の後遺症なのだろうか、とさえ思ってしまった。

いや、きっと死に直面したことで父の心に何らのか変化が起こった・・・のだろう。臨死体験は人の人生観を180度変えてしまうことがある。私は、自分の経験からそのことを知っていた。

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