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米国の分断~ ドッグパークで会ったトランプ支持者(2)<シリコンバレーは今日も晴れ>


口幅ったい言い方で恐縮だが、筆者の居住地区(決して高級住宅地ではない)でも、多くが白人かアジア系で、黒人とヒスパニック系はごく少ない。これは勤務しているIT企業でも同様だ。去年から殊更に「ダイバーシティー(多様化)」と「インクルージョン(包摂性)」が強調されているが、結局「白人とアジア系(インド系含む)」が社員の殆どを占めている(エンジニアは特に)。

さて、先程の「ドッグパークで会った女性」に話を戻そう。実は、これまで筆者は、「トランプ支持だ」と大っぴらに言う人に会ったことがなかった(だがメディアで流されるイメージから「あまりおつきあいしたくない人々」と漠然と思っていた。)

トランプ支持者を「狂信的、教育程度が低く科学的でないので、話にならない」と切り捨てるのは簡単だ。しかし、今回会った女性は「犬を愛する」という共通項を持った人だ。
私は彼女の言葉に引き続き耳を傾けた。そうしているうちに「そうだよなぁ」と思うことが幾つか出てきた。

一つは、彼女(と同様の人々)が感じている激しい「ルサンチマン」だ。「働いても働いても貧富の差は開くばかり」、「政治家は口ではいいことを言っているが、自分達を無視している」と彼らは怒っている。そこに「俺だけは君たちの味方だ!」と現れたトランプ氏に希望を託し、彼こそこの状況を打破してくれる救世主だと、考えたのも無理はない。

私ももしアメリカの片田舎(それも産業が衰退している地域)や都市のスラムに生まれ育っていたら、そう考えるに至ったかもしれない。額に汗して働いているのになぜ生活は苦しいのか。なぜネット企業の若き創業者は、莫大な富を短期間で手にしているのか。オフィスで手を汚さずに働く人々は、なぜ自分より遥かに大きな収入を得ているのか。なぜ自分の通う学校は、施設もボロボロで先生の質が悪いのか。もしこんな状況で身近にロールモデルとなる人が皆無だったら、「貧困の連鎖を断ち切る方法」を見つけることは至難の業だろう。

自分と違う人々、自分と違う社会経済層にいる人々を「敵」と決めつけ、攻撃したり批判することは簡単で、その”誘惑”はいつもある。しかしこの根深い「分断」を埋める努力、少なくても相手側の声に耳を傾けることが、今ほど大事な時はないと思われる。米国人口の半分を占める「トランプ支持者」。彼らの「怒り(ルサンチマン)」を放置すれば、必ずもう半分の層はしっぺ返しをくらうであろう。ハイパーキャピタリズムの中で(過剰に)得ている上流層の富は、もっと公平・適切に分配されるべきだからだ(こんなことを言うとすぐ「社会主義者!」と米国では目の敵にされてしまうが...。)

そんなことを考えさせられた、ドッグパークでの出会いだった。こんな話をしている間、待ちぼうけをくらった彼女と私のワンコは、退屈そうにボールや木の枝をガジガジしていた(ごめんよ、ワンコ達)。(パート1はこちら

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