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【みちらん39】鯨型タイムマシンの乗り手はご隠居様から若夫婦へ ~常陸太田~

城みちるのデビュー曲「イルカに乗った少年」がヒットしたのが昭和49年。もう半世紀も前のことだが、それよりも遥か昔の元禄4年、水戸のご老公はクジラの背中の外れに隠居した。

常陸太田は、水戸から水郡線に乗って途中から支線に入った終着駅。駅舎は平成23年に改装され、かつての郷愁を帯びた風景は失われてしまったけれど、それでもはるばる来たぜの感はあります。

鯨の背中に沿って歩く
駅から棚倉街道を北へ向かうとすぐに始まる緩やかな坂を登り切れば、突如土蔵や町屋が連なるレトロモダンの商店街が出現。
鯨ヶ丘商店街だ。地名の由来は山の稜線が海に浮かぶ鯨の背中に見えたから。見立ての主は日本武尊という説もあります。

緩やかに見えても急な坂道

江戸時代は棚倉街道の宿場町、明治期は葉煙草を取引する問屋でにぎわった。その後も大正、戦前まで人と物の往来が絶えることはなく最盛期には銀行やデパートもあったというが、新たに道が敷かれた影響で徐々に衰退・・

令和の今は「子育て上手ひたちおおた」で売り出し中なのだとか。おむつ代の助成等手厚い支援策が人気で、レトロ好みの若者カップルが移住してくるのだそうだ。

西山荘へ
別名は西山御殿という。御殿はいっても、茅葺き土塀の建物は、書斎がなければ名主の住居と大差ない印象だ。

周囲を山に囲まれた隠棲の地

ここで光圀は周辺の田や山に鶴や鹿を放ち、畑には薬草を植えるなど、晴耕雨読のライフスタイルを実践していたのかもしれない。のちに尊王志士たちのバイブルとなる大日本史が、ここで編纂されたかと思うと感慨深い。

庭に出て、2つの池を中心に滝、石、門などを配した庭を巡り歩けば、秋の日差しを浴びた紅葉が目に鮮やかで、光圀が理想とした景観を垣間見ることが出来た。

色鮮やかな紅葉の西山の里

帰路は鯨ヶ丘に戻り、奥久慈庵鯨荘塩町館で手打ち蕎麦を賞味。旧太田銀行を再生したという内装も、蕎麦同様味わい深いものでした。

明治20年に建てられた旧太田銀行を再生

茨城県常陸太田市
距離:4km 常陸太田駅~西山荘
[星の数] ★★(遠回りしてでも訪れる価値のある、道歩きが好きな人向けのみち)

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