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【映画】 「ボヘミアン・ラプソディ」の感想ーー才能とその代償

今更、という感じではありますが、最近また見たので。好きな映画で、何度も見ています。

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脚本は平凡、といわれることがありますが、ストーリー展開は王道です。

成功→孤独・不和・病→最も大切なもの(この場合は友情、歌うこと、本当の愛)の再発見とそれへの帰還、という感じで。

確かに、この動画にある通り、実際とは随分違うところがあるようです。例えば、フレディがエイズを仲間に打ち明けたのは実際は1987年頃で、ライブ・エイドの後の時期のことだった、映画ではフレディがソロ活動をすることで仲間と不和に陥ったように描かれているが、実際はこの時期それぞれがソロ活動も行っていた、とか。でも、ドキュメンタリーではないこと、またバンドのメンバーだったロジャー・テイラーとブライアン・メイがこの映画に深く関わり、この内容にOKを出していることを考えると、一つの物語としてこの映画を鑑賞することは問題ないのではないかと私は思っています。

この映画を見て、「才能に恵まれるということはどういうことか」ということを考えさせられました。一般に、私たちは才能のある人を羨ましいと思いがちです。でも、「○○に選ばれた」「○○をすることが彼/彼女の宿命である」というレベルの人たちには、そういう人だけにしか分からない苦悩があるのではないか、ということを改めて思いました。例えば、「頭の中にメロディが流れてきて止まらない」と訴えたチャイコフスキーのように。彼らにとって、才能は祝福でもあり、一種の呪いでもあるのです

これに関連した、興味深いツイートをご紹介します。

ある人が、レナード・コーエン"Happens to the Heart"の一節を引用したツイートをした時。

<さかやん訳>
才能ある者の牢獄の中で
私は看守とおなじみだった
だから
心に起きることを目撃しなくてもよかった

「何を言っているのか分からない」というリプライに対するツイート主(Fenna Capelle)の答えです。

<さかやん訳>
才能は祝福というよりも重荷であり、自由というよりも牢獄であり、才能には犠牲を伴うということを言っているのだと思います。しかし、彼は看守と親しんでいたので、才能が自分の心にどういう犠牲を強いるかを見る必要がなかった(あるいは多分気づかなかった)のです。

この映画では、フレディの孤独は主にセクシュアリティがもたらしたものとして描かれていましたが、こういう面もあったのではないかと思うのです。

ライブ・エイドのシーンは圧巻でしたね。これを最初に収録したというのは驚きでした。彼は最後までパフォーマーであり、パフォーマーとして生きることを選んだ。彼は多くの人に喜びや生きる力を与えたが、多くの人からの愛を必要とする人でもあった。その代償は大きく、彼にさまざまな苦悩をもたらしたけれども、彼の歌と魂は永遠に輝いている。そんなことを感じました。

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