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【アメリカ滞在記6】緊張のハーレムツアー 2021.09.27 晴れ NY

緊張感

今日は朝から少し緊張していた。マンハッタンの北部、ハーレムに行く日だったからだ。

ハーレムは、20世紀以降黒人が南部から北部に渡ってきた際の目的地であり、黒人文化が栄えた場所だ。そして今につながるグラフィティムーブメントが最初に発展した場所のひとつでもある。
ヒップホップや黒人文化を愛する者にとっては、聖地のような場所、当然高揚感という緊張があった。

しかし、緊張していた理由はもう一つあった。治安の問題である。
今回、ワクチンの手配をして頂いたニキさんに「グラフィティが見たい」と相談したところ、ハーレムのガイドをしているキミコさんという方を紹介して頂いた。
キミコさんはハーレムに住んで20年以上。ハーレムといえばこの人!と言われるほど、テレビをはじめ、多くのメディアでハーレムのことを発信している人だ。

運良くキミコさんと繋がることができ、今回ハーレムを案内していただくことになった。
しかしツアー前に服装・荷物の大きさなどの確認、大きいカメラはNGで、「写真を撮る時は周りを気にしながら撮るように」という注意を告げられた。

ハーレムは元々とても治安が悪かった場所ではあるが、最近は都市開発も進んできたらしい。しかしコロナの影響で、また治安が悪化してきたのだそう。
更にあまりアジア人がおらず、歩いていると目立つのと、写真などを撮ってても良い反応はされないらしいので、とにかく目立たないようにすることが大事とのことだった。

そんな緊張感がある状況でも、ツアーを引き受けてくださったキミコさんに感謝し、極力目立たない格好を心がけた。

ツアーのはじまり

そんな緊張感とは裏腹に、天気は快晴。
個人ツアーなので、私とニキさんとニキさんのお友達の3人のみツアーに参加する形だった。先に3人で落ち合い、キミコさんとの待ち合わせ場所に向かった。
13時、地下鉄B線の135St駅。観光ではあまり北部まで行くことはなく、電車の中もすこし雰囲気が違うのが分かった。
電車を降りて地上に出ると、とても広い道路にとてもきれいな学校があり、想像していた雰囲気とのギャップに少し拍子抜け。

数分後、細身のスラッとした身体に真っ黒なジャージ姿、キャップにサングラスをかけたキミコさんが現れた。
サングラスにマスク姿でお顔があまり分からなかったけど、ハキハキとした明るい喋り口調でとても親しみやすさを感じることができた。
挨拶の話し方だけで親しみやすさ感じられるってすごい。。

そして早速、見えていた学校の前に行き、そこにあった地下鉄の入り口を指して「ここが最近、日本人のジャズピアニストが突然殴られた場所」と紹介された。
衝撃的なツアーの始まりだった。

(以下記事の事件現場でした)


BLM本部

最初に案内して頂いたのは、公的に描かれた大きな壁画。有名なジャズアーティスト、ディジー・ガレスピーと子供たちが勉強する姿。
Education Is Not A Crimeというプロジェクトで公的に描かれた壁画の1つなのだそう。

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アメリカは路上駐車が当たり前だが、縦列駐車ではなく車の前面が路上に向く形で止められている場所があった。
これは全て警察の車らしく、なにかあったらすぐに出動できるように、この体制で駐車されているとのことだった。そんな工夫がされるほど日常的に出動する機会が多いということだ。

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また、警察署には友好的な壁画が描かれている。黒人と警察が対立しやすい環境下ではそういったアピールが重要視される。

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今回、基本的にはグラフィティがある場所をポイントとして案内してもらったのだが、しっかりそれに交えて歴史や象徴的な場所にも連れて行って頂いた。
その中でも印象的だったのは、BLM運動の本部だった。中に入ることは出来なかったが、普通のアパートの目の前の車には「BLACK LIVES MATTER」の文字。

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BLM運動については数年前から少し調べていたくらいで、2020年の盛り上がりから改めて色んな映画や本、記事を読み漁っていた。
様々なメディアによって、今現在もこの世界に”それ”が存在することを、日本にいても実感できた。それほど大きな運動が、こんな小さなところから始まっていったのかと考えると、鳥肌が立った。

入り口の前にはなぜか大きな鏡が置かれていて、「自分自身に問いかけてみろ」と言われているような気がした。

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フランコ・ザ・グレート

キミコさんが紹介してくれたグラフィティのひとつに、店と店の間の壁(?)にラテンチックな色使いで描かれた、アフロヘアーの女性の絵があった。

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ハーレムで愛されているアーティストの一人、フランコ・ザ・グレートという人の作品なのだそう。
ここで少しフランコについての概要を説明しておこうと思う。

彼は子供の頃、頭を強く打ってから言葉を発することができなくなった。友達も減っていく中で、絵を描くことが彼のコミュニケーションの手段になっていった。

少年期、絵でお金が稼げることが分かった彼は、1958年に祖父母のいるハーレムに渡り、店に「無料で絵を描かせてくれないか」と頼み込み、徐々に描かせてくれる店が増えていった。

そんな時、キング牧師が暗殺され、彼の住んでいた125丁目で暴動が起きる。
騒動後、あらゆる店がシャッターを閉め、まるで牢獄のようになった街を見て、店主の一人がフランコに「シャッターに絵を描かないか」と言った。

彼は大きな木の絵を描いた。それから彼は200枚以上のシャッターに絵を描いていった。
その絵のおかげで牢獄のようになっていた通りが明るくなり、街の人にも受け入れられていった。

※もう少し詳しく知りたい方はフランコ・ザ・グレート公式サイトをご覧ください

地元のライターたちもフランコへのリスペクトがあるため、フランコの絵の上だけには重ね描きをしなかったそう。
それでも最近の治安の悪化により、フランコの絵に重ね書きをする外部のライターが増え、200枚あったシャッターアートは今は10枚程度になっているとのことだった。

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(重ね書きされてしまったフランコの絵)

グラフィティは、時代の流れと共にあるので、変わっていくのは当然だ。
今日見られたものが明日見られなくなる。
それは良く言えば「刹那的」だけれど、一方で社会情勢による悪影響が引き起こした現象という場合もある。
ただの落書きなのだけど、そこには良い悪いで二極化するにはあまりに複雑で、多面的な事情や感情が重なり合っている。
そう思うと、ただの落書きではなく、人と街と社会が共に生きている証として現れているようにも見える。

(毎週日曜に125stにいるとあるけど、今もいるのかな、、私が行ったのは月曜なので会えませんでした)

ハーレム愛

歩いていると、道端に出店を出しているところがあった。観光地ではよく見る、土地の名前や土地を象徴する人のプリントが刷られた衣類やキャップなどなど。
しかし、ハーレムでこういうのを買うのは意外と観光客より地元の人が多いらしい。
その理由は、地元民はハーレムが大好きだから

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ハーレムが好きだから「HARLEM」と書かれた服を着たい。なんて真っ直ぐで分かりやすい感情なんだ。。
ハーレムに20年住むキミコさんも、漏れなくそのハーレム愛を持つ1人だ。キミコさんの案内は本当にハーレム愛に溢れているのがこの数時間でも伝わってきた。

私はそこまでの感情を地元にも、他の土地にも抱いたことがないので、彼らの愛がどんな感情なのかは想像するしかない。
街が好きということは、そこにいる人が好きということだと思うし、人と人の繋がりや助け合いがあるということだ。
たとえ外部からどういう状況に見えていようとも、その繋がりが保たれているなら、それはとても理想的な街だと思った。
記念にトートバッグを2枚購入した。

ハーレムのこれから

治安が悪化しているとはいえ、一部では都市開発がどんどん進んでいる。ハーレム初の高級ホテルが建てられていたり、人気チェーン店のスーパーマーケットがオープン予定だったり。
キミコさん曰く、とても大きな変化が起こっているとのことだった。

それは人の流れが変わることでもあり、この街の人たちの生活も変わっていくということだ。
ある人には良い方向、ある人には悪い方向に、またどちらでもなく順応していく人もいるだろう。

これからこの街がどう変わっていくのだろう。
また次訪れた時には、グラフィティと人と街の姿を見ながら変化を感じてみたいと思う。

ほんの一端を体感しただけだったけど、そんなことを思えたとても意味のある時間だった。


キミコさんと別れ、ミッドタウンに戻った時の安心感はひとしおだった。。

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