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早見和真『八月の母』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2022.06.26 Sunday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

早見和真さんの作品は、愛媛県人としては、かなしきデブ猫ちゃんシリーズ(童話)に触れる機会はありましたが、小説は未読でした。初読みの小説は……、しっかり丁寧に書き込みながらも、長編であることを感じさせない筆致で、一気読みさせられていました。

愛媛県伊予市を舞台にした四世代に亘る母の物語です。タイトルに「母」が付いているとは言え、まさか「母」が四世代も描かれているとは思っていなかったので、世代が交代する度に、えっ、主人公じゃなかったの……! と、驚きと共に読み進めることになりました。

最終的な主人公に行き着くまでの三人の母が、いわゆる毒親というカテゴリーに入ってしまうような母達だったのですが、三人三様の母達であることで、毒親という言葉だけでは括ることができない人間の多様性が描き出されていて、母の犠牲となっていく娘という負のスパイラルに、より信憑性が与えられているように感じました。(以下、ネタバレありです)

「母性」の歪んでしまった「母」。本来守ってくれるはずの母に庇護されず、他者の悪意や性暴力で傷つけられる子供達。そして、血縁関係のない疑似「家族」たち。その中で、最も悲惨な事件を引き起こすきっかけとなったのが、愛情深く、まともな母であろうとしていた者であったという何ともいたたまれない現実。悪意など無かったものが、結果的に悲劇をもたらしてしまう、という救いのなさが際立ちます。また、疑似家族の中にやっと自分の居場所を見つけられた者が、結局、事件の被害者となってしまい、本来の家族と新しい疑似家族関係の相互から二重に見捨てられてしまうという顛末……。

次々と重ねられていく母の犠牲となる娘の連鎖の物語は、断ち切ることなどできないのではないか、と思われるほどでしたが、連鎖を断ち切るための子から母に与える許し、という結末に大きな救いを感じました。つながりを断つことで、誰かのせいにせずに自分のために生きる道を手に入れていく結末にやっと光が見えました。

タイトルの「八月」に加えて、終戦記念日として知られる「八月十五日」へのスポットの当て方を思う時、戦前の国(保護する側)に翻弄されて犠牲となった日本人の、新しい日本に生まれ変わることで得た、戦後の自由が重なってくるように感じました。「八月の母」は再生の物語であり、虐げられている者への祈りの書なのでしょう。