大江健三郎『「自分の木」の下で』『「新しい人」の方へ』
先月の大江健三郎さんの訃報には大きな衝撃を受けましたが、様々な追悼記事に触れる中でぜひとも読んでみたいと思ったのが、子どもの疑問に答えるエッセイと紹介されていた『「自分の木」の下で』『「新しい人」の方へ』でした。
(「厳しく怖い」伝説の大江健三郎 編集者が体験した冷や汗と忘れられない笑顔〈週刊朝日〉)
子供向けのエッセイという頭で読み始めたのですが、大人が言葉を尽くして潔く率直に答えるカッコよさに満ちた作品で、読み始めてすぐにその奥深さに心を揺さぶられました。
2章ではすでに、タイトルともなっている「自分の木」のエピソードが語られ、この本の方向性が語られていきます。
大江さんが、七・八歳ごろに聞いた祖母の話によると、「谷間の人」にはそれぞれ「自分の木」ときめられている樹木があって、魂はその根元から降りてきて、死ぬとその樹に戻っていくのだそうです。そして、たまたまその木の下に立っていると、年をとってしまった自分に会うこともあるのだと聞き、幼い大江さんは、その人に会えたら「どうして生きてきたのですか?」と聞いてみようと思っていたというのです。そして、現在老人の年齢になった自分は今、「それに答えて、長い長い話をするかわりに、私は小説を書いてきたのじゃないか」と答えるのです。
また「どんな人になりたかったか?」という問いへの回答も、どういう仕事をするか、というところではなく、「どういう心の持ち方の人」になりたいか、という視点からの答えが秀逸で、心震えました。
大江さんの子供の頃の思い出や家族との関係が具体例として披露されていくのですが、四国の森の中で育った大江さんに、大切なことを教え、学問への道をひらいてくれたお父さんやお母さんのエピソードも心動かされるものばかりでした。個人的に、大江さんの四国の森を舞台にした作品が好きなこともあって、作家としての生きざまに振れられる書物として大変面白く、一気に読んでしまいました。
姉妹編として刊行された『「新しい人」の方へ』は、「もう少し深め、もう少し役立つものとして書き直したい」との思いから、「『新しい人』になってもらいたい」という方針を決めて書かれた一冊です。こちらも同じく奥様のゆかりさんの温かな画がふんだんに取り入れられて、「敵意を滅ぼし、和解を達成する『新しい人』」をめざすようにとのへのメッセージが込められた一冊となっています。