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沼田真佑『影裏』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2021.01.24 Sunday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

第157回芥川賞受賞作で、昨年綾野剛✖松田龍平✖大友啓史監督で映画化された作品です。

映画の予告動画での松田さんの台詞「知った気になるなよ。人を見る時はな、その裏側、影の一番濃い所を見るんだよ」や、ヒューマンミステリーという宣伝文句に惹かれて、手に取った書籍でしたが、読んでみると映画の予告から想像していた親友捜しのミステリーという印象とは全く別の小説だったので驚きました。(以下ネタバレありです。)

文庫本65ページの長くはない小説ですが、時系列ではなく、時間がいきなり行きつ戻りつして物語が進んでいくので、今描かれているのがいつのことなのか、戸惑うことも多く頭の整理に苦労したというのが正直なところで、何度も振り返りながら読みました。また、全体を通してほのめかすだけで、決定的な何かを示すことのない小説なのですが、主人公の今野が二年間付き合って二年前に別れた和哉が登場するところで、読者としては今野にとって「岩手でただ一人、心を許せる友人」と思っていた日浅との関係が、彼自身のセクシュアリティに関わるものであったことが分かる段には、意表を突かれてしまいました。(ちなみに、読み終わって映画の予告動画を見直すと、綾野さんの演技がそれらしくも見えてきたので、もしかすると、映画も実際は小説のセクシュアリティ的なテーマ(!?)を根底においていたのかもしれません。)

タイトル『影裏』は、日浅の実家で四隅を画鋲で留められた模造紙に書かれていた「電光影裏斬春風」から来ています。「電光影裏斬春風」(直訳:稲妻が光る間に春風を斬る)とは、禅語の一つだそうで、【人生は束の間であるが、人生を悟った者は永久に滅びることがなく、存在するというたとえ】なのだそうです。

「巨大なものの崩壊に陶酔しがちな傾向」を持ち「日常生活の喪失の諸形態に反応」して「共感ではなく感銘」を示す日浅の失踪が、最終的に釣りの最中に震災の津波にのまれたのではないか……という可能性にいたる時、最も日浅らしい「影裏(光りの一瞬)」の最期であり、また、釣りによって繋がっていた今野と日浅の関係を思うと、彼は繋がりの記憶の中で永遠に存在し続けていくのかもしれない……と感じさせられました。

また、日浅の父親が、裏切り行為で勘当した息子をばか者と罵りながらも、「息子なら死んではいませんよ」「なんらかの事件で新聞に出る」と言っている点にも、父親が飾っていた「電光影裏斬春風」=日浅の永遠性を象徴しているように感じてきました。ろくでもない息子であるが生きているという父親の確信は、息子への歪んだ愛情なのかもしれません。

文庫に同時収録されている「廃屋の眺め」「陶片」も、歪んだいくつかの夫婦像やセクシュアリティの問題が扱われていて、「影裏」同様、何かを抱えながらも自分の足取りで生きていく人間が描かれた作品だと感じました。