必死だったねぇ
当時の自分が嘘のような気がしたりする。
電車に乗る事に対して二の足を踏んでいた頃。
あの頃は、毎日「息が出来なくて死んじゃう」と思っていた。
会社に着くと、なんともなくて。
会社へ行くことと、家にまっとうに帰る事がミッション
みたいな生活をしてた。
会社に着いたら「今日も無事来れた・・・」と思って。
たどり着けるかどうかが一番の課題だった。
発作が起きれば、会社に着いた頃には顔は覇気なく、
ぐったりした気持ち。
当時、なにが原因なのかわからず。
原因がわかってから治療も含め、
20代は殆ど毎日をこの状態で過ごした。
でもたまに今でもそれは目の前にやってきたりして。
「あ、今日、この電車で〇〇駅まで行く自信ない」
ってふと降りてくる。
昔と違うのは
「〇〇までは行けそう」
どうやったら気分を変えれるか
とか、自分へ問い合わせしながら
対処法を自分で考えられるようになったことだ。
(未だ対処しきれないものもある)
20代、人からの距離を取るようになった。
「電車に乗れない」
「電車に乗るのに、勇気がいる」
そう言って、返ってくるのは
「なにそれ?電車に乗れないっておかしくなぃ?」
そうだよね。そう思うよね。
そういって答えた人がちょっと「信じらんない」的に笑ったりすると、自分がその人へ自分の状態をいった事に対して悲しくなり、そして「気持ちをわかってくれない」と心を閉ざしていた。
だからこそ、自分も気を付けないと、って時々振り返る。
きっと、多分、残念な返事をしてしまっていることがあるだろう。
普通が普通でなくなる時がある
当時、心を閉ざした自分に、今だったら「そんなに閉じる事はなかったよね」って。当時は本当に毎日死にそうになっていたから、必死だったけれど。籠り過ぎたね。なんでぎっちぎちになってしまったんだろうね。
今の私も多少当時からの影響を受けているけれど、少しは緩くなったような気がするよ。毎日「死ぬ~」って状態でなくなったよ。良かった。
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