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魔法使いのなみだ(1)

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 魔法使いの棲むという森で、少年ミサトは迷いの子。

 いつも「弱虫」「泣き虫」「びびり」とからかわれるものだからと度胸試しのつもりで森に足を踏み入れたのが間違いで、気づけば帰り道も分からないほどに木が生い茂る場所まで来てしまっている。足元の落ち葉や湿った土はとても歩きにくく、靴は泥で汚れて靴下はひんやりとしてきていた。半袖から伸びた腕は枝葉にぶつかり小さな傷がいくつもできている。振り返ってはみても濃い闇が木々の奥に続いていた。それはあたかもミサトを家へ帰すものかと出口を塞いでいるようだ。


 その場で留まるも奥へ進むも、時間は着実に過去へと移り変わる。月や星こそ見えてはいないが今は確実に夜であることが容易に想像できた。時折森を駆け抜ける風は夏とは思えぬほどつららのように鋭く冷たいのだ。さきほど転んで付いた左膝の傷は血が滲んでいたが、何度も風を受ける内に乾ききってしまった。


 ミサトはいつしか頬を伝っていた涙を拭い、ぐっと唾液を喉の底へと押し戻す。
 母さん、という呟きは、再び襲った強風に掻き消されていった。弱音すら吐けないのかと、いよいよ孤独と恐怖がしみてくる。
 と、その時。ひとつの光の塊が木々の隙間から漏れだして、周囲を眩く照らしている場所を見つけた。それはさまよう火の玉にも見て取れる。ミサトは藁をも掴む思いで光に近づき、しかしそこで一旦立ち止まって考えを巡らせた。


 ――もしや、この森に棲むという魔法使いの家の光ではなかろうか。


 魔法使いは、魔物が人間を喰らい人の姿になったものだとは両親から言い聞かされていた。それは信じる者と真っ向から否定する者が極端で、ミサトの両親は前者の方だった。しかし信じる者は圧倒的に多い。何故ならば、ミサトの住む区域にはまるで魔物に荒らされたような人や家畜の亡骸が発見されることが、まれにではあるが、あることにはあった。そのことで、その魔法使いの類は森に棲んでいるというのもまた人間に見つからず、人里離れて暮らすためには、本当にあってもおかしくないと噂されるのである。


 ――これはもしや本当に。

 背中を冷気がかけ抜け、硬直したように立ち尽くすミサトのすぐ側で、ギャア! ギャア! と鳥が雄叫びをあげる。突然殴られたような衝撃が、ミサトの小さな心臓を揺らした。


 彼の恐怖心はとうにピークを過ぎている。我慢もこれ以上はできそうにない。何にせよ、今ほどの鳥のせいで、気の無かった尿意が顔を出してしまったのだ。
 ミサトは遂に覚悟を決め、両手を強く握り締める。もう時間がない。生唾を呑んでしかと先の光を見つめ、胸中で昼間の自分を呪いながらも――、欠片ほどだけ期待を抱き、漏れる光に誘われるように木々を掻き分けた。


 朧気なひかりは進むにつれて強さを増す。ミサトの恐怖心は、なぜだか不思議とそのひかりに照らされ和らいでいった。
 すると突然開けた場所に出た。ぽっかりとあいたその空間だけ木々は生えておらず、枯れた葉も地面には敷かれていない。ふかふかの土が足元にはあり、疲れを包んでくれているような気さえする。そしてその空間の中央には、こうこうとひかるランプを軒に垂らした家が一軒、静かに建っていた。建ってはいるが、それは家というより小屋に近い。ひとつある丸い大きなガラス窓はくもり、部屋のあかりをちらちらと揺らめかせていた。
 ミサトのこころにはもう恐怖心がなかった。それよりも目の前の風変わりな小屋に心を奪われ、ただぼうっと見つめている。

 ……と、そのときだった。
「だれ?」
「うわああああ!」
 いきなり真横で鳴った声にミサトは飛び跳ねて驚いた。そして瞬時にしゃがみこむ。頭にがつんとなにかがぶつかったような驚きで、呼吸が引きつる。
「ちょっと、そんなに驚かないでよ。だれ、ってきいただけじゃない」
 くらくらとめまいがして視界がゆがみ、小屋も蜃気楼のように頼りなく見える。もうさきほどから心臓は早鐘を打ちっぱなしで、そのうち止まらなくなってしまうのではないかとミサトは思案した。しかしそんなこともなく、心臓はただだんだんと落ちつきを取り戻していく。そして改めて考えてみると今の声の主が気になった。勇気を振り絞りうしろを振り返る。

 そこにいたのはミサトと同じくらいの年の、黒いワンピースを着た、黒髪が腰まである、まだ若い少女だった。

 ミサトは森で少女と対峙したとき、思い出した話があった。それはやはりというべきか、あの凶暴な人喰い魔法使いのことだ。両親からは危険な話として伝わっているので、とても怖いことだと思っていた。ミサトはその魔法使いと出会ってしまったと感じ、生きた心地がしなかったのだ。しかし、実際にそこにいたのはまだ十とそこらの少女で、心から安堵のため息をもらすも彼女の次の言葉でふたたびミサトのこころは凍りつく。
「よくここまできたね。魔法使いにどんな用事?」
 が、それでも立ち上がることができなかった。どうやら腰が抜けてしまっている。逃げ場はもうない。さらに我慢していた尿意を思い出し、警告の鐘が頭に鳴り響く。
 ミサトが絶望を感じたそのとき、彼女は言った。
「とりあえず店に入りなよ」
 ――――もう、どうにでもなれ。
 ミサトは覚悟を決める。立ち上がるときに魔法使いらしき少女が手を貸してくれ、怯えながらもやっとのことで立ち上がると、小屋へと足を進めた。


continue...

image by:Free-Photos

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