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人材育成とキャリア教育〜国家的視点で〜

 転職をした人、これからしようと考えている人、微塵も転職など頭に浮かんだことがない人など様々だと思いますが、今回は人が自分の人生を1つの仕事にひたすら捧げるということの社会的意義はあるのか、という点について国家的な視点をもとにまとめてみました。

 そもそも社会全体に貢献しているという認識を持ちながら仕事に従事している人はどのくらいいるのでしょうか?周りを見渡すとそう多くないのではないでしょうか。そうすると社会的意義について考える機会自体が無く、その必要も感じられないのかもしれません。

 ところが「仕事が楽しくない」とか「やりがいがない」といった言葉を多く耳にしていることを考えると自分の仕事と社会の繋がりについて考え、意義を見出していくことはとても大切なのだと思います。

 では国家の立場からみた時に、1つの仕事に従事し続けてきた人材はどのように評価すべきなのでしょうか?当然、熟練の技術を身につけるためには相応の時間を必要とします。そのため、とても大切な人材であるということは否めません。しかし、現代のような情報が飛び交い、新しいものが次々と必要とされる時代の中では、求められる人材は全く異なるものだとも考えられます。

この点に関して福沢諭吉(『学問のすすめ』)は興味深いことを述べています。

”政府は役人が多すぎて困っている。実務を簡素化して役人の数を減らすことで実務そのものもすっきり整理される。そしてその人材を民間の業務に回せば一挙両得だ。

 この文章は明治の「政府のあり方」について述べたものです。注目すべきは「人材は動かすもので、かつ必要な場所に適宜配置する」といった考えであるということです。必要な時期には人材は確保する。そして必要な要素・条件が満たされればその人材を他所で活用するというものです。

 この考え方は今の時代にも示唆を得るものだと思いませんか?多岐にわたる分野を複合的に、また有機的に関連づけて”新しさ”を創造する。これこそ大切な力であり、日本活性化のヒントではないかと思えてなりません。

 終身雇用とは「雇用される側」にとっては大きなメリットです。しかしそこには「国側の視点」はもちろん、「社会的な意義」が希薄になる可能性があるということを知っておくべきなのかもしれません。

 もちろん、この文章を書いている私も「ひとりの人間が1つの場所に留まり、身を捧げるという事」については非常に非効率的であるという認識です。

「自分が今何を求めるのか」という事に加えて「今後何を求める可能性があるのか」「社会から何を求められるようになるのか」、こういったことは常に考えておくと、人材がさらに有意義に活用される国になるのではないでしょうか。

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