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教育現場の飽和状態が示す危なさについて

 学校教育に携わっていたものとして、また現場を離れた者として、今の教育を客観的に考えてみると危うさしか感じられないので今回はこのテーマでまとめてみようと思います。

 民間で働いていると、ある程度分業制がしっかり整えられており、特定の分野で専門的なノウハウを身につけながらキャリアを積みつつ企業を成長させていこうという指針が感じられます。個人的にも、自身の成長が感じられるという点でやりがいや楽しさ、充実感が得られているというのが現状です。この経験をもとに学校現場を見ていると、本当にとんでもないリスクを負った状態で仕事をしていたと感じます。例えばこの質問に答えてみてください。

「教員が行なっている仕事にはどのようなものがあると思いますか?」

 この質問には厳密な答えを準備しているわけではありません。ただ、10人に聞くだけで膨大な量の情報が得られるということは想像に難くないのではないでしょうか。

 思いつく範囲で羅列していきます。「授業(実際の授業時数)」「授業準備(資料整理・プリント作成を含めたあらゆる準備)」「補習(進学向け、欠時補充、単位習得)」「提出物、回収物管理と点検(必要であれば保護者連絡)」「会議(職員全体、学年、教科等に関するもの)」「事務・書類整理(会計・各種報告書等の書類作成)」「会計管理(会計に関する業務、教材等に関する情報の整理等)」「部活動(技術指導、審判業務)」「行事に関する業務(日程調整や場合によっては業者との打ち合わせ、しおりなどの関連配布物作成、情報整理・計画、報告準備)」「研修(免許更新、専門科目、福祉、AED等緊急時対応、いじめ対策、カウンセリング)」「進路指導(面談、進路情報収集、面接練習)」「保護者対応」「生活指導(規則違反等)」、、、もうこれくらいで良いでしょうか(笑)これだけの量を平日の本来の業務時間を超えて、さらには休日まで仕事を行なっているわけです。志望者が減るわけだ・・・。

 さて、業務量が多いことはさることながら、私が言いたいのはその「専門性」についてです。先にあげた業務をざっくりと専門性という部分で考えてみると、1つは「授業・学習に関わること」があります。これは教員が担う中核の部分でしょう。そのほかには生活指導等を含めた「規範意識の育成」といった部分でしょうか。いずれにしても「人格形成」を目的とする公教育からは切り離せない部分だとはいえるでしょう。ただし、「カウンセリング」や「福祉」といった内容はどうでしょうか。私個人としては「教員がやらなければならない仕事」あるいは「教師しかできない仕事」かと聞かれると疑問符がつきます。むしろ「教師でいいのか?」という考えです。

 1つ実際にあった例なのですが、某年3月のとある会議にて報告がありました。新入生の1人は脳に疾患があり、人とぶつかったりして転倒した場合は早急に救急車を呼んで対処する必要があると。イメージとしては衝撃を受けると血管が破裂して命に関わる事態になりますよ、ということです。そしてそのことはクラスを含めた同級生には一切を伏せろというのです。

 この情報を聞いた時、皆さんならどう考えますか?この生徒がいわゆる普通科の高校に入学することは問題ないと思いますか?特別な配慮が可能な学校に行くべきだと思いますか?もしくは、治療を終えた段階で高校に行く方が良いと思いますか?生徒の権利ですからそのまま普通に入学を許可しますか?

 生徒への対応として私の中で答えが決まりきっているわけではありません。しかし、1つ言えるのは教師は医者ではないということです。治療や予防はもちろんのこと、サポートをして欲しいと言われてもずっとそばにいるわけにはいかないのです。ほかにも福祉的なサポートが求められるケースもありますが、1年に1・2度の研修という名の講義を受けただけで教師がその手の専門家になれるわけではありません。ところが世間はそのことをほとんど認識していないように思います。何かあったとき、誰が責任をとりますか?教師?ぶつかった生徒?仮に責任の所在が明確になっても、当該生徒が命を落とした時それで保護者は納得できますか?

 このケースも含めて教育現場には考えなければならないことがたくさんありすぎるのです。あらゆる専門分野をつまみ食いさせられた、まさに今にもお腹がはち切れそうなのが教育現場なのです。教育についてはいろいろな問題提起がなされているのでこれ以上は触れませんが、どんな場所でも「人に仕事を任せる時にはその人材が適材であるかどうか」ということを任せる側の人間がしっかりと把握しておく必要があります。この視点は管理職だけのものではなく、社会や保護者も知っておくべきことだと思います。そういう意味ではこれ以上の専門性を教師に求めるのは酷と言えるでしょう。いや、受け入れるキャパシティがないと言った方が適切かもしれません。本当に何かあった時に悲しい思いをするのは学校に頼んだ側なのですから。

 最後に、今回の提起を受けて我々に何ができるでしょうか。実は結構明白だったりします。それは1つずつ専門家が教師の職業を吸い上げていけば良いのです。そのために必要なステップはいくつかあると思いますが、それが進めばいいなと思います。そして私も行動に移しています。もし、今回の投稿を読んで共感していただけたら、ぜひ全てを教育現場に頼み込むようなことだけはしないで欲しいと思います。教師のため?いえ、子供と、その保護者のために、です。

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