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小学生の頃は分からなかった映画「タイタニック 」の醍醐味② ージャックとローズの物語に見るキリスト教的犠牲観ー

◾️目次
vol.1 醍醐味①  史実と創作を絶妙に織り成した圧倒的考証力とシナリオ力
vol.2  醍醐味②   ジャックとローズの物語に見るキリスト教的犠牲観
vol.3  醍醐味③  圧倒的スケールを生む特撮、普遍的感情を揺り動かす情景描写  

今回もvol.1に続き、小学生以来見ずじまいだった映画「タイタニック」を改めて鑑賞して気づいたこの作品の2つ目の醍醐味を紹介したい。  

vol.1でも述べたとおり映画「タイタニック 」は史実に基づくドキュメンタリーという縦糸と創作によるジャックとローズの愛の物語という横糸が織り成した傑作群像劇である。
前回は縦糸の史実の部分に重きを置いたが、今回はいよいよ横糸である創作の部分、ジャックとローズの物語にどのようなテーマが込められているのか考察していきたい。
(あくまで個人的な解釈です。ネタバレ注意)

==ジャックとローズの物語に見る象徴的な意義==  

一見するとお金持ちのお嬢様と貧しい青年の身分違いの恋の物語なのだが、このふたりの精神的な上下関係は身分の上下関係とは逆転するところがポイントである。  

本作のヒロイン、ローズは没落貴族のお嬢様。家柄は良いが多額の負債を負っており、母親は娘の政略結婚によって負債を肩代わりして貰おうと画策している。
祖国イギリスから婚約者の国アメリカへの豪華客船の旅はローズにとっては奴隷船に揺られるようなものだった。
一見すると何不自由ない富裕層の代表であるローズは、階級社会や男尊女卑のしがらみにがんじがらめにされた籠の中の鳥であり、自由を渇望する被抑圧者の象徴である。  

一方、本作の主人公ジャックは画家を夢見て世界を放浪する貧しい青年。
ポーカーで勝ったことで夢の切符を手に入れてタイタニックに乗り込んだ。
両親を亡くした根なし草だからこそ、何にも束縛されず夢を追い、そんな生き方に誇りを持っている。
一見、貧困層のやんちゃなガキとして描かれるジャックは、自分の好きな生き方と自分で運命を切り開く逞しさを手に入れた、まさに自由の象徴なのである。  

ローズの自由を求める心と自由そのものであるジャックという存在は、絵画という共通の趣味を通じて当たり前のように共鳴しあう。
身分の高いローズが身分の低いジャックに強い憧れを抱いたからこそ、この身分違いの恋は成立したのである。

ここで幼少期の無粋な私は、そうは言っても結局身分の序列通り、お嬢様のローズだけが生き残り、貧しくも勇敢なジャックは死んでしまうという結末に納得いかなかった。
(vol.1にも書いた通り、ローズが大人しくボートに乗っていればジャックはあの板に乗って助かったんじゃないの?とか、
なんで救命胴衣着てるローズが板の上で着ていないジャックが水の中なの?とか、
二人一緒に板の上は本当に無理だったの?
一緒に助かれる選択肢はあったんじゃないの?
てか、この女の人なんかわがままじゃない? 
なんて、恋をまだ知らず、生き残ることだけを再重要視していた小学生の私の目はローズに厳しかった…笑)

しかし再鑑賞して、本作の大醍醐味は貧しい青年という姿を持った自由の象徴の犠牲にあると強く感じた。
ジャックはローズのために死ななければならなかった。
それも、ローズだけを救命ボートに乗せ、自らは沈みゆく船で運命を受け入れるというような死に方では足りない。
命の尽きる瞬間まで愛する者を守り抜くために生きることを渇望しながら尽き果てなければ、ジャックの犠牲の真の意味は発揮されない。

ここで言う「犠牲」とは沈没事故の犠牲者という意味ではなく、もっとキリスト教的な、世界を救うための生贄のような意味での犠牲という概念である。
現代日本人にはピンとこない部分も多いが、西洋文化の根底に脈々と流れるキリスト教の物語の中には「キリストの贖罪」の他、「イサクの犠牲」や諸聖人の殉教の物語などある人物の死によって世界を救う物語が溢れている。
ジャックの死にも物理的な死以上の象徴的な犠牲の意味合いが込められているように思えるのだ。

(私はキリスト者ではないし、宗教観の薄い典型的日本人だが、大学で西洋美術の勉強をして以来、欧米で名作と言われるものは現代アートも含めキリスト教的視点抜きに語ることは難しいと思うようになった。)

幼少期の私には納得できなかったシーンとして、ローズが救命ボートから沈みゆく船へと飛んで戻るシーンがある。
感動的な場面ではあるが生死を彷徨う場面で賛否両論飛びかう行動であることは間違いない。

ローズが先にボートに乗っていようがいまいが結末は同じだっただろう。
上流階級の女性であるローズは生き残り、根無草のジャックは海の藻屑となる。
しかし、最期の瞬間まで共にいる事がこのふたりにもたらしたあらゆる心理的効果は計り知れない。

ボートに乗っていればローズが階級社会や男尊女卑のしがらみを自ら打ち破り生を謳歌することはなかった。
最愛のジャックを残し、自分だけ助かったことへの自責の念から今度こそ海に身を投げていたかもしれない。

ジャックにしてもボートにローズを乗せた時点で自分の務めは果たしたと考えていた。もともと助かる望みはない。
ひょっとしたら演奏を続ける楽士の姿を木片でも使って描きながらジャックも最期の時を迎えたかもしれない。
ローズが船に戻らなければジャックの超人的な生命力はまず発揮されなかった。

命の尽きるそのときまで恋人を守るというジャックの行動は被抑圧者の象徴であるローズを閉じ込める心の鳥かごをこじ開けるのに必要な犠牲だった。
ジャックとの最期の別れの後、ローズは突然目覚めたように生き抜く覚悟を決める。
その後、警笛を鳴らして自らの運命を切り開き、偽名を名乗って生まれた家を捨て、渇望していた自由を手に入れる。
まさに、自ら運命を切り開いてきたジャックの様に。
ジャックの死はなくてはならなかった。
なぜなら、ジャックという自由の象徴の犠牲によってその性質を被抑圧の象徴であるローズに受け渡す事ができたからだ。

愛というものは無から有を創造しうる不思議なエネルギーの根源だ。だから尊い。
ジャックとローズの物語は単純な身分違いの悲恋の物語ではなく、自由の象徴の犠牲によって被抑圧者が解放される希望の物語なのだ。
そして、作中のローズひとりに限らず、この作品を観る全ての抑圧された人を解放するカタルシスがこの作品の真髄でありジャックの犠牲の真の意味なのである。
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次回、vol.3でタイタニック シリーズはついに完結。
次回はシナリオについてではなく、本作の映像美から名作たる所以を読み解いていきたい。

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