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【月雲の皇子③】「物語の中で『物語とは何たるか』を物語る」という試み(裏テーマ)

『月雲の皇子』連載第3回。

第1回第2回はこちら。


本作を担当し、私が心酔している演出家、上田久美子女史。

上田先生の作品はどれも名作揃いで甲乙つけがたいのだが、私は「1番好きな物語を語ります」と銘打ってこの連載を開始した。

正直、小劇場なのでセットには限界があるし、キャストの歌唱力にも不足を感じるので、完成度の高いうえくみ作品として人に勧めることはまずない。
それでもこの作品を最も好きな物語として掲げるのは、ひとえにこの裏テーマの秀逸さゆえだ。

第1回でも述べたとおり、この物語は「衣通姫伝説」が下敷きとなっているが、「衣通姫伝説」は古事記と日本書紀でことの顛末が異なる。

『月雲の皇子』は、史実を伝える物語でも、歴史に大胆仮説を唱える物語でもありません。古事記と日本書紀で、衣通姫伝説の結末は全く異なります。どちらかは確実に嘘であり、両方、嘘かもしれない。執筆にあたっては、様々に虚構を取り入れ、各地の風土記に残る古代のまつろわぬ民「土蜘蛛(土雲)」についての空想を加えて、自由に物語を展開してみました。歴史の真実ではなく、「物語」という名の嘘をつく人間の真実を、書いてみたかったからです。
(上田久美子・『月雲の皇子』東京公演プログラムより)

(あぁ…なんてきれいな文章…)

演出家コメントにもある通り、歴史書も物語も書き手の意思を反映した虚構であり、上田久美子という書き手が描いた『月雲の皇子』という物語の中で「物語とは何たるか」を物語るというのがこの作品の根底に流れる裏テーマだ。

この裏テーマを支える重要人物が、王家の記録・文書を司る史部(ふひとべ)の長であり、渡来人の博徳(はかとこ)である。

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彼の重要なセリフに次のようなものがある。

「この世界には2種類の人間がいる。
 歌を詠む者と、言葉を弄する者。」

第2回で表テーマについては存分に語ったが、この作品は2人の兄弟皇子とその兄弟が愛した皇女の物語だ。

その兄弟は正反対の性質を持っている。
上記の博徳の言葉もそれぞれ兄弟の性質を示している訳だ。

まず、「歌を詠む者」が示すのは木梨軽皇子。
実際に歌を詠むのが上手いだけでなく、戦の最中に物思いに耽ったり、雨乞ができたりと少々浮世離れしているが、心優しく情け深く、人々から慕われている人物として描かれている。

一方、「言葉を弄する者」が示すのは穴穂皇子。
(とはいえ、物語冒頭ではまだ「弄して」はいなかったが…。)
武勇に優れ、知略に長け、一時の感情に流されることなく先の世を見据える目を持つ現実的な性格で、政治のためなら多少冷徹なことも厭わない人物として描かれている。

この二人の性質の違いが示される最初の兄弟喧嘩が、博徳の家で繰り広げられる「歴史書論争」である。

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博徳の家に保管されている記録に土蜘蛛討伐のことが書かれていないことに木梨軽皇子は違和感を覚えるが、穴穂皇子は後世に残るべき記録と本当の過去は別のものだとバッサリ。
国家の礎を強固なものにしようと思えば、王家への反体勢力は存在しなかったことにした方が歴史が混乱しないし、殺戮もなかったことにした方が体裁が良い、と。

さらに穴穂皇子は、国家公認の立派な歴史書を作ることは国づくりの条件であり、兄が王位についたら自分が書記官として歴史書を編纂しようと提案する。

しかし、兄・木梨軽皇子は「私はまことの物語を残したい。皆がどのように生きたか。何を悲しみ、何を喜んだか。私たちが死んだ後も、まことの姿と心が残るような」と弟の提案を願い下げる。

穴穂皇子がイメージするものが古事記や日本書紀である一方、木梨軽皇子がイメージするのは万葉集といったところであろうか。
どちらも後の世に残すべき重要な書物であるが、政治の為という視点で語るならば穴穂皇子の考えの方が正しいのは明らかだ。

この後、穴穂皇子はある事情によって言葉を弄し、兄を失脚に追い込み、自ら王位につく。

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この時、穴穂皇子は「私は偽りの言葉を弄した。なぜ私のもとに残った?」と博徳に問う。
この博徳の回答も、この世の真理をついている。

「この世界では勝ったものが真実。勝者の語る言葉だけが歴史として残る。(中略)後の世に名も残せぬ国、名も残らぬ命がある。この身消え果てぬためには、常に勝者のそばにあることを私はこの流浪の果てに学んだ。」

あぁ…世知辛いけど社会ってそういうもんだよな…。

2幕以降、穴穂は離れていった人の心を取り戻せず、理知的ではあるが前にも増して冷酷な王として倭に君臨する。

一方、弟に裏切られた木梨軽皇子も心を閉ざし、歌を詠まなくなり、言葉を弄することも厭わなくなる。
本音で語ることをやめた兄弟は心の奥底では互いを想いあっているにもかかわらず、刃を交えることでしか収まらない憎しみに身を焦がす。

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第1回で既に述べたとおり、『月雲の皇子』は『衣通姫伝説』の盛大なネタバレから始まる。

そして伝説にあるとおり、この二人の壮絶な兄弟喧嘩は穴穂皇子の勝利に終わる。

一見、この二人の死闘はあまりに多くの犠牲を払っただけで、何も生まなかったように見える。
しかし、この戦いに勝利を収めた穴穂は兄の心に触れ、再び人間らしい心を取り戻す。
その心が、兄の死をどのように“記録に残すか”という場面で示されるのだ。

伝説のようなふわふわしたものにあらゆる設定を与え、伏線を張り巡らせて2幕ものに拡張するだけでも物凄いことなのに、その裏で「物語とは何たるか」という裏テーマまで一気通貫して扱い着地させる上田先生の手腕にはただただ脱帽するしかない。
これが処女作だなんて…神はどれほどの才能を彼女に与えたのだろうか。

「この世界には2種類の人間がいる。
 歌を詠む者と、言葉を弄する者。」

この作品のキーフレーズ。
言い換えるなら、「自然に寄り添った言葉を使う人」と「言葉の力で自然(=世界)を動かそうとする人」だろうか。
どちらかが正しくて、どちらかが間違っているなんてものではない。
むしろ、ビジネスの世界では後者=言葉を弄する者が是とされる。
木梨軽皇子はそんな世界の歪みに一人で立ち向かい、露と消える犠牲者だ。

あなたは一体どちらの人間か?
この作品はまっすぐにそれを問いかけてくる。

次回、第4回でとうとう連載完結です。
次回はシナリオではなく演出中心に考察します!


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