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【皆様と書くという意義深さ】

1月4日(火)振り返り

また、読んでくださるのですね。ありがとうございます。冬休みは投稿が長いですよ🙇‍♂️😁

これは自分のために最初に言っておきたい
ぼくは全然すごい人じゃあない。
それを忘れちゃう自分が今後現れたのならこちょこちょしてください😆
 

昨日、一昨日と、本を書く〜って宣言したら、SNSのタイムラインで、本を書きたいという人がちらほらみられるようになった。
情報がパーソナライズされたのか?それともカラーバス効果(自分が見たいものに意識を向けている)か?

それはわからないけれど、明らかに自分の感覚が変わったことがあって面白いなとおもったから、今日はそれを残しておこうと思う。
 

これまでは、知り合いが本を出したら、出そうとしていたら、羨ましいなぁという気持ちが少なからずありました。
#いや、ほぼそれ笑
#またいい子ぶろうとした笑

と同時に自分には書けないと思った。書きたいけど書けないと思った。
本を出している人はすごい人でぼくはすごい人じゃない。
#なんせ初任者
#教員としてはぺーぺーのぺー

書くことが得意な人が本を書いて、ぼくみたいに文章を書くことが苦手な人は書けないと思ってた。なんせ子どもの頃から国語が苦手で、文系の勉強したくないから工業高専に、バリバリの理系の学校に進学したから。やりたいことに進んだというよりやりたくないところから逃げたってのもあったかも知れない。

ありゃりゃ。やっぱり脱線する。笑

本を出してる人はすごい人ってところまで戻ろう。

ぼくは今、本を書こうとしている。というか、書いた後それを読んでくれた人がどのくらいいる。その後どうなる。結果教育がいい感じに変わる。幸せな子どもが増える。幸せな大人が増える。みたいな妄想までしてる。

じゃあそれは自分がすごい人になったと感じているのかな? いや違う。違うんです。反対。ずっとすごくなくていいと思うようになったんです。でも誰でも本を書くことはできるんだから書いてみればいいじゃん。それが変化。我ながら面白い気付きだな。

庶民。凡人。変人。何者でもない。ぼくはぼく。安東哲也さまでございます。

そんな感じ。
全然すごくないけど書く。
凡人だから書く。

それに意味があると思った。

だって、ぼく、
「一人一人が自分らしく好きなこと中心の生活をし、調和のとれた平和で幸せな社会」であれたらいいなと思っている公立小学校教員だから (⇦ これ、いろんなSNSのプロフィールに書いている)

100万人に一人のレアキャラにならなくても、78億人に一人の超絶レアキャラだから。

ぼくがぼくで、このまんまで、すっごく楽しそうに大人をやっている。それを目の前の子どもたちに届けたい。それがぼくのしごとの大部分なんだとも思ってる。

だから、凡人のまんま本を出版する。楽しむ。それに意味があると思っていると気付きました。今日。うん。後付けです。それを気づかせてくれたのみなさんです。

子どもにも、みんなそのままで素敵だよってほぼ毎日言ってるでしょ。洗脳してるでしょ😎 

ほらまたすぐに熱くなるでしょ。笑
This is me.笑
 
(ここからタイトルへ向かいます。
 #ここから!?笑)

それで今日何が言いたかったかというと、みんなに見てもらいながら書きたくなった。ということです。

昨日、こうやって、ぼくらしく書きたいものを書きますと発信したら、沢山の人がコメントをくださったんです。めちゃくちゃ嬉しかったんです。めちゃくちゃタメになったんです。自分にない視点がいただけたんです。

電子書籍はゴリゴリに自分色で書いて出版できちゃうのです。それがいいんですが、それよりも、みなさんにご意見をもらった方がより多くの人に安東らしさを届けられるんじゃないか、と思いました。

とりわけ昨日の気づきは、ほとんどのコメントは、ぼくと面識のある方もしくは教育関係者の方だということ。
#当たり前🤣
#それがSNSだもん😆

だから、子どもや保護者にリーチしたいんだから、そこからの声も聞きたいよー。と感じました。おしまい。

最後まで読んでくれました?
本当にありがとうございます。

ではでは。

#今日朝活で
#目次らしきものができました

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