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芥川龍之介「西方の人」「続西方の人」

久しぶりに芥川龍之介を読もうと思い、どの作品にするか迷いました。
面白かった作品の再読も考えたのですが、初めて読む作品を選びました。
しかもその作品は遺稿となった作品です。

今までもキリスト教を題材とした芥川の作品は読んでいましたが、まさか最後の作品がイエスにかかわる作品とは知りませんでした。
芥川の作品は好きで読んではいましたが、全作品を読みたいと思ったことはありませんでしたので不勉強だったかもしれません。

この作品を読んで、芥川がイエス(作中クリストと表現)にいかに傾倒していたかが伺えます。

本書から芥川の心情が伺える箇所を引用します。

以下ー芥川 竜之介. 西方の人 . 青空文庫. Kindle 版

1 この人を見よ
(前略)
クリストは今日のわたしには行路の人のやうに見ることは出来ない。
(中略)
わたしは唯わたしの感じた通りに「わたしのクリスト」を記すのである。厳しい日本のクリスト教徒も売文の徒の書いたクリストだけは恐らくは大目に見てくれるであらう。
36 クリストの一生
(前略)
けれどもクリストの一生はいつも我々を動かすであらう。それは天上から地上へ登る為に無残にも折れた梯子である。薄暗い空から叩きつける土砂降りの雨の中に傾いたまま。……
37 東方の人
(前略)
クリストは「狐は穴あり。空の鳥は巣あり。然れども人の子は枕する所なし」と言つた。彼の言葉は恐らくは彼自身も意識しなかつた、恐しい事実を孕んでゐる。我々は狐や鳥になる外は容易に塒の見つかるものではない。

以下ー芥川 竜之介. 続西方の人 . 青空文庫. Kindle 版

1 再びこの人を見よ
(前略)
殊にクリストを描いたものなどに興味を感ずるものはないであらう。しかしわたしは四福音書の中にまざまざとわたしに呼びかけてゐるクリストの姿を感じてゐる。わたしのクリストを描き加へるのもわたし自身にはやめることは出来ない。
22 貧しい人たちに
(前略)
しかし彼の一生はいつも我々を動かすであらう。彼は十字架にかかる為に、――ジヤアナリズム至上主義を推し立てる為にあらゆるものを犠牲にした。
(後略)

芥川龍之介は、昭和2年7月24日に自殺しています。
「西方の人」は末尾に(昭和2年7月10日)、「続西方の人」は末尾に(昭和2年7月23日遺稿)と記載があります。

死の直前の本書は、どのような思いで書かれたのでしょうか。
わたしには、芥川龍之介の心情が分かりようもありません。
ただ、クリスチャンではないわたしにも、というよりクリスチャンではないからこそ、なにかイエスという人に対する芥川の思いに沿える心持がします。
信仰に縋ろうとしても縋りきれない苦しみを抱えながら、死を選んだのでしょうか。


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