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森鷗外「高瀬舟」

久しぶりに鷗外を読んでみようと思いました。
どの作品にしようか、迷ったのですが代表作ともいえる「高瀬舟」を読みました。
もうすでに幾回も読んでいるのですが、変わらずに快い読後感です。

ご存じの方も多いとは思いますが、簡単にあらすじを紹介します。

江戸は寛政年間の頃です。
遠島を申し付けられた罪人は、京都から大阪まで高瀬川を下って送られます。
この舟に同行する同心にとっては、あまり気分の良くない仕事です。
というのも舟に親族が乗り合わせて、別れを惜しむ哀れな情況を目の当たりにするからです。
その日、羽田庄兵衛は20歳くらいの弟殺しの罪人を乗せたのですが、その喜助の態度がいかにもうれしそうで、不思議に思いました。
そして思わず、喜助に聞いてみますと、喜助は遠島送りとなったものに遣わされるお鳥目200文をいただき、島で仕事をできることを喜んでいるのです。
さらに庄兵衛は興味が湧き、弟殺しの顛末を聞いてみたのですが、弟が自殺を図り首に突き刺さった剃刀を抜くことができず苦しんでおり、無理に頼まれて抜いたため死んだとのことでした。
庄兵衛は、足ることを知らぬ自身を省みました。
また、これが果たして罪なのかとも思い、お奉行に聞いてみたくもなりました。

あらすじだけですと味気ないので、情緒が漂うその魅力を少しでも垣間見れるように、本書より以下を引用します。
(森 鴎外全集 ちくま文庫  Kindle 版)

(乗船した喜助の様子)

その 日 は 暮れ 方 から 風 が やん で、 空 一面 を おおっ た 薄い 雲 が、 月 の 輪郭 を かすま せ、 ようよう 近寄っ て 来る 夏 の 温か さが、 両岸 の 土 からも、 川床 の 土 からも、 もやに なっ て 立ちのぼる かと 思わ れる 夜 で あっ た。 下京 の 町 を 離れ て、 加茂川 を 横 ぎったころからは、 あたり が ひっそり と し て、 ただ 舳 に さか れる 水 の ささやき を 聞く のみ で ある。   夜 舟 で 寝る こと は、 罪人 にも 許さ れ て いる のに、 喜助 は 横 に なろ う とも せ ず、 雲 の 濃淡 に従って、 光 の 増し たり 減じ たり する 月 を 仰い で、 黙っ て いる。 その 額 は 晴れやか で 目 には かすか な かがやき が ある。

(島に流される喜助の思い)

喜助 は にっこり 笑っ た。「 御 親切 に おっしゃっ て くだす って、 ありがとう ござい ます。 なるほど 島 へ ゆく という こと は、 ほか の 人 には 悲しい 事 で ござい ましょ う。 その 心持ち は わたくし にも 思いやっ て みる こと が でき ます。 しかし それ は 世間 で らく を し て い た 人 だ からで ござい ます。
~中略~
 わたくし は これ まで、 どこ と いっ て 自分 の い て いい 所 という もの が ござい ませ ん でし た。
~中略~
それから こん度 島 へ お やり くださる に つき まし て、 二 百 文 の 鳥目 を いただき まし た。」

(自らを省みた庄兵衛の思い)

庄兵衛 は ただ 漠然と、 人 の 一生 という よう な 事 を 思っ て み た。 人 は 身 に 病 が ある と、 この 病 が なかっ たら と 思う。 その 日 その 日 の 食 が ない と、 食っ て ゆか れ たら と 思う。 万一 の 時 に 備える たくわえ が ない と、 少し でも たくわえ が あっ たら と 思う。 たくわえ が あっ ても、 また その たくわえ が もっと 多かっ たら と 思う。 かく の ごと くに 先 から 先 へと 考え て みれ ば、 人 は どこ まで 行っ て 踏み止まる こと が できる もの やら わから ない。 それ を 今 目 の 前 で 踏み止まっ て 見せ て くれる のが この 喜助 だ と、 庄兵衛 は 気がつい た。

(文末の表現)

次第に ふけ て ゆく おぼろ 夜 に、 沈黙 の 人 二人 を 載せ た 高瀬舟 は、 黒い 水 の 面 を すべっ て 行っ た。

鷗外は、翁草という史料に書かれた簡単な逸話を、この短編小説としてまとめたということが、高瀬舟縁起に記しています。
詩情あふれる情景描写と庄兵衛と喜助との内面的な交流が、饒舌さを避けて簡潔に表現されているところが素晴らしいと思われます。

鷗外は、高瀬舟縁起で本書のテーマとして「足るを知る」と「安楽死」をあげています。
たしかに鷗外は、短編小説「妄想」のなかでも、自身が足るを知ることがないと書いてあったと記憶しています。
以下のnote記事を覗いていただければと思います。

本書を読んで久しぶりに森鷗外という人に触れたように思い、懐かしい心持ちになりました。
それはあくまで、わたしの中の森鷗外かもしれませんが。



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