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【障がい者支援】精神科病院長期入院してた人と過ごして考えたこと その1

精神科病院に長期入院していた方で、すでに亡くなられたが、当時50代後半の男性の保佐人(成年後見制度の保佐類型:以下参照)を受任し、その方の支援や活動の中から、考えたことをお伝えしたい。
そして、精神疾患を持つ方の地域での暮らしや支援、入院についても、自分なりに考える機会にできるとよいと思っている。

保佐人は、被保佐人(保佐開始の審判を受けた人,以下「本人」とします。)の意思を尊重して,その判断能力を補い,本人の身の上や財産に関する契約等の法律行為を助け,また審判で定められた範囲の法律行為で,本人が不十分な判断に基づいて行った行為を取り消すなどして,本人を保護し,その権利や利益を守る人です。保佐人は,被保佐人(保佐開始の審判を受けた人,以下「本人」とします。)の意思を尊重して,その判断能力を補い,本人の身の上や財産に関する契約等の法律行為を助け,また審判で定められた範囲の法律行為で,本人が不十分な判断に基づいて行った行為を取り消すなどして,本人を保護し,その権利や利益を守る人です。

京都家庭裁判所 後見センター

申立時のできごと

市町村長申立による、障がい福祉担当課からの保佐人候補者の依頼だった。申立時の親族調査によってわかった、いままでご本人の存在を知らなかったというごきょうだいに面会した。義理の兄の立場であったその方は、精神病院に30年以上入院しているきょうだいの存在に、そうとうビックリされていた。ご本人にお会いするかどうかの前に、なにも知らないご本人に、きょうだいの存在をお伝えするかどうか家族会議で相談させてほしいという。しばらくの間をおいて、再度ごきょうだいとの面会があり、かなり悩んだすえ本人には存在を知らせてほしくない、という返事をもらった。ただし、将来ご本人に医療的な処置が必要になる際の同意や、万が一お亡くなりになった時のその後の対応は快く受けてくださった。
その方にとって、長年知ることのなかった義理のきょうだいが、精神障がいで長く入院しているという事実を前に、どのような家族会議が行われたのか、精神障がいを持つ方が身近にいない場合、病気のことを知る機会がない方は、どのような想像をするのだろう。なぜ会わず名のらないことを選択したのだろう。退院することがあれば身内として引き取ることが必要かと思ったのだろうか。その時、市の担当課や病院のケースワーカーから積極的に本人の情報を提供し不安を軽減することができたら、違った結果になっていたのだろうか。
長期で入院していなくてはならなかったのはどうしてなのか、精神障がいを持つ人が地域で暮らすことに高いハードルがあるのはなぜなのか。その後の支援をしていて考えることが多くなった。

出会い

Aさんは、長年入院していた精神科病院から別の精神科病院へ転院することになり、その際に入院に関する手続きや契約に必要ということで保佐人がつくことなった。初めて会った時、表情が乏しいようではあったが、少し話すと、たまに見せる笑顔が印象的な穏やかな人であることがわかった。義理のきょうだいとは本当によく似ていた。服薬により症状が管理されていたのかもしれないが、病院の相談員からのアセスメントでも特に大きな問題となる行動はないようだった。

外出支援

受任してから、本人といろいろ話すことで、彼の希望を聞くことができた。街で買い物とか外食とかしたい、ごく普通の要望だ。病棟の他の患者さんたちと看護師で外部のイベントなどにはごくたまに参加する機会はあったようだが、個別対応で買い物支援などの外出はない。
病院と相談し、ヘルパーの付き添いによる外出が可能になった。月に1回の外出で、買い物、外食、映画、散髪などに行きたいという。対応してくれる事業所を探すが、入院中の精神疾患を持つ方のヘルパー支援は、なかなか簡単にみつけることができなかった。本来、保佐人が行う業務ではないが、自分が月1回、本人とともにしばらく外出することになった。
市街地から外れた山の中にある病院から、駅近くのショッピングモールによく行った。
映画や外食、ショッピングなどを楽しみ、帰りにはコンビニで、お菓子と助六寿司(かんぴょう巻きが好きだと言っていた)を買って帰った。
思い出すのは、映画館で二人で映画を観ていた、まさにその時、3.11東日本大震災が発生したこと。激しい余震の中、病院へ戻るか、避難所に行くか、迷いながら車を走らせ病院へ戻った。自分は極力冷静に対応しようと、何とか気持ちを落ち着かせる努力をしていたが、彼はなぜか動揺している様子はなく、たんたんとしていたのを記憶している。
また、入院する前に聞いていたという、ビートルズのアビーロードというアルバムジャケットで、メンバーが着ているような黒いジャケットが欲しい、ということでユニクロに探しに行ったりもした。
ビートルズは、彼が20歳代に聞いていた洋楽の中で最も好きだったようだ。音楽だけではないが、彼の人生は20歳代でストップしていたように感じた。
亡くなったあと、少ない遺品を引きとったが、何度も壊れた安いCDプレーヤーとイヤフォン、ビートルズのCDがたくさんあったのを覚えている。ユニクロのジャケットも。

閉鎖病棟へ

受任してしばらくすると、病院から連絡があった。ご本人が一般病棟から閉鎖病棟へ移動したという。理由は看護師に対するセクハラ行為だった。内容を聞いてみると、直接的な行動ではなかったようで、本人にしてみれば軽い気持ちでの行為だったように思う。だが、セクハラは許されざる行為に違いはない。
そのとき、自分が考えたのは、その行為の背景にある彼の状況だった。彼は20代から30数年間の入院生活で、女性とおつき合いしたことも、親しくしたこともなかったわけで、極端にいうと異性との性的な経験がない、どころか手をつないだこともない。そして、あまり良いアイデアではないかもしれないが、外出して何か女性と親しくできるようなサービスを利用することもありなのではないかと思った。極端にいうと、キャバクラや風俗などのサービスを利用するのはどうだろうかと。
本人の希望を聞く前に主治医に率直に意見を聞いてみた。一応こちらの考えを一通り聞いた上で、刺激になることは避けた方が良い、今の病状を悪化させる可能性があるという説明を受けた。
精神科の治療について詳しく知っているわけではないし、日頃の彼の行動や言動を把握しているわけではないので、医師の判断に従うしかないが、後から考えると、どのようなリスクがあるのか、または性的逸脱行為や脱抑制の可能性があるとしても、そのようなリスクを避けられる方法はないのか、踏み込んで質問し、実現できる可能性を広げることはできなかったのか。
今ではあまり聞かなくなってしまったが、一部の外国で普及しているという「セックスボランティア」などのことも調べたが、そこまで検討することもなく、この件をそのままにしてしまったことを、少し後悔している。
そして、さらに考えると、彼は、女性と付き合うこともなかったし、結婚して子どもを持つこともなかったわけで、そのことによってもたらされる経験を得ることも、幸せを感じることもできなかったのだ。

セックスボランティアとは、身体または知的障害を持っていることが原因で、セックス(性行為)の機会を得ることが極端に少ないか、セックスあるいは自慰を行うことが物理的、肉体的に困難な人々に対し、性行為の介助(介護)を行う人のことである。
英語の頭文字をとって“SV(エスブイ)”などと略称される。
ボランティアという名称ではあるが、有料(有償)の場合もある。
オランダでは制度化[1]され、市などの自治体が助成金を設けていて、スイスでもこのような自発的なボランティアの行為が見られる。

Wikipedia「セックスボランティア」より

ここ近年、虐待に関する大きな事件がニュースに上がるが、事件を起こした滝山病院のような精神科病院は、決して特別ではないことを専門職に聞いた。
保佐人として関わっていた当時、病院の処遇、対応について大きな疑問を抱くことはあまりなかったが、病状がおちついていて何もなければ、それで良いとも思っていた。しかし、当時も今も精神科病院の状況は大きく変わっていない。彼がどのような想いで長い間、入院生活を続けていたかを考えると、もう少し踏み込んで何かできなかったのだろうか、社会福祉士として、彼の人としての権利を考え、護ることなど、積極的に関わることができなかっただろうかと、今でも考える。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
長くなってしまったので、ここまででひと区切りとして、「その2」へ続けることにしました。
次のnoteでも、その後に起こったことから思ったこと、さらに精神科病院の長期入院がなぜ無くならないのか、そして、なぜ障がい者や高齢者にたいする虐待が発生してしまうのか、なども改めて考えてみたいと思っています。

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