売れないバンドは楽しいな

二十歳ぐらいの頃、3人組のバンドでベースを弾いていた。
ギターとボーカルをやっていた丸山君が誘ってくれたのだ。
ドラムは私と丸山君の共通の知り合いで、丸山君が入ったバイト先で前任者として仕事してた及部さん。
及部さんは私たちより3つか4つ年上なのだが、背が低く華奢で眼鏡、オタク気質で彼女もいない、若干のコミュ障気味という大変ステキな逸材だった。
けど根っからのいい人で憎めない、年は確かに上だけどえばったりすることなく。
私とも丸山君ともフツーに打ち解けていた。丸山君は及部さんから仕事を教わったので、長いこと
師匠
と呼んでいた。ので、私もそれにならって師匠と呼んでいた。

そんな師匠と丸山君と私のバンド
eddible wild plants(エディブル・ワイルド・プラントス)
略してewpは駆け出しのバンドにありがちな、金はねえけど暇ならあるんでフットワークと財布が軽い、という感じで活動を始めた。
ちなみにこの長い名前と3文字で略すとプロレス団体みたいなバンド名は丸山君のお母さんが付けてくれた名前だった。
丸山君のお母さんも、ちょくちょくこのエッセイでも言及されるキッドさんのお母ちゃんと同じぐらいかそれ以上に音楽活動に理解があり、また自分もロック大好きな母ちゃんだった。
何しろ一緒にサマーソニックや名古屋に来たNEW FOUND GLORYを見に行ったりしたし、丸山君の家は元カラオケ店なので部屋にアンプ置いてギターが弾けたのだがお母さんも青いストラトキャスターを所有してたまに丸山君が留守のときはお母さんがギャーーーンと弾いていたという。
カラオケ店だったのでワンフロアに部屋が沢山あって、各種楽器やアンプ類が置かれた部屋もちゃんとあった。理想的と言えばこれ以上理想的な環境もない。

そしてもう一つ理想的といえば最寄りの貸しスタジオが我が家と近い。当然先祖代々顔なじみ。そして丸山君は私の幼馴染で家が近い。
及部さんだけはちょっと離れていたが元気に自転車で通ってくれていた。

と、ここまで前置き!
長かったなー、いつもみてえに脱線する余地もないぐらい長いんだもの。

でね。
この3人でライブに出るためアチコチ向かうんだけど、丸山君はエモがやりたかったんだよね。でも当時の豊橋近辺であんまりエモをやっているイベントとかライブがなくって。
パンク系の現場にお邪魔して、下手糞なりに頑張っていた。
何しろ平日の夜とか、イベントっても末席も末席でお客さんも少なかった。名古屋まで行って出るのは良いけど当然チケットなんか売れないし…ノルマの3万円を三等分して1万円を払うのにピーピー言っていた。
初めて名古屋でライブをやったのは鶴舞にあるDAYTRIPさんだった。この日は豊橋から知人が駆け付けてくれたものの、私が演奏中に大ポカをしでかして
あーーーポカした…ポカした…
ってなってたところでもある。ポカした自分が許せず、みんなにも申し訳なく、私は会場の隅っこで全てをこめて丸山君にビンタを頼んだ。丸山君は空手の実力者だが私の気持ちを汲んで思いっきり張ってくれた。
その一部始終を別のイベンターさんにバッチリ見られていて、面白い奴らだ、と声をかけてくれて次のライブが上前津で決まった。人生何が幸いするかわからない、早速バンドメンバーに紹介すると丸山君は流石に体育会系をやっているので礼儀正しい。
が、ザ文系コミュ障の師匠は腕組をして斜めに立ってぶっきらぼうな受け答えをしている。
お前っ!と言って
前田日明VSアンドレ・ザ・ジャイアントばりに
ヒザの裏を蹴飛ばしたかったが彼は明らかな非戦闘員なのでそういうわけにもいかない。第一、師匠には悪気は一切なく、むしろあれは極度に緊張しながらも必死で受け答えをしてくれている、ということもこっちにはわかっていたからだ。それにしても
イベンターさんが
「お忙しいですものねー」
と低姿勢なのに対し
「んーやっぱ仕事休めないから」
「なんのお仕事なんですか?」
「ま、町工場。町工場」
ってコレはマズい。慌てて師匠を引っ込める丸山君。その隙にイベンターさんと連絡先を交換する佐野君。この空手&柔道コンビはこういうときアイコンタクトが出来た。さっきまで引っぱたかれていたが、だからこそ次につなげたくてこっちも必死だったし、本当にありがたい申し出を頂いたものだった。


そのDAYTRIPさんでのライブ前のリハーサルが終わって時間があったんだったか、リハーサルまで時間があったんだったか。
すぐ近くに鶴舞公園があるんで、豊橋から見に来てくれた知人とみんなで出かけてブラブラ時間を潰していた。
噴水か何かがある広場のベンチでダベっていると、周囲では公園で野外ライフを過ごしている感じの老紳士が麻雀をやったりタバコ吸ったり思い思いに過ごしていた。
その中の紳士の一人が、珍しそうに声をかけてきた。だいぶお酒も入っているようだ。
兄ちゃんたちどっから来た?何するんだ名古屋で?
豊橋だよー、俺たちバンド組んでるからライブやるんだ。
見かけによらず人当たりのいい紳士、チケット代が2千円かあー、千円なら行ったのになあ~と残念そうに言う。今ならじゃあ、っつって千円引きでチケットをお買い上げいただくくらいの洒落もあるが、あの当時はこっちにとっても千円なんか逆さに降ったって出てこない。名古屋までだって高速道路を使わずに延々と国道1号線を走ってきたぐらいだ。

気が付くと鶴舞公園に住み着いた紳士あらため名古屋のど真ん中の神仙郷に住まう仙人とすっかり打ち解けている師匠。
師匠と仙人。
お前、なんでそっちの仙人とは和気あいあいと話せて、この数時間後にイベンターさんにはあんな話し方だったんだ!!
そこが及部さんのいいところ。
そうは思えない書き方をしている、と思われるかもしれないが、及部さんの不思議な魅力はコレだけじゃないのだ。それについては、またいつか。元気かな。今度、急に電話してみよっと。

この記事が参加している募集

おうち時間を工夫で楽しく

この街がすき

小銭をぶつけて下さる方はこちらから…励みになります また頂いたお金で面白いことを見つけて、記事や小説、作品に活かして参りますのでよろしくお願いいたします。