タダウチさんの海

こないだ、ふと
生まれて初めての海水浴は、いつどこでどんな感じだったっけ
ということを思い出してみることにしようと思い立ち、そして色々思い出した。

豊橋市はすぐ隣がもう静岡県で、三ヶ日町(今の浜松市北区三ヶ日町)と湖西市がお隣さんだ。あの頃は浜名郡新居町といったかもしれない。
その辺りに女河浦というところがあって、そこに海水浴場がある。
女河浦と書いてメガウラと読む。ちょっとかっこいい地名だが実にのどかで、湖畔の田舎道を朝なんかにしゅーっと走るととても気持ちがいい。

その女河浦海水浴場に、たぶん5歳ぐらいの私を連れてってくれたのがタダウチさんだった。タダウチさんが我が家とどういう関係性の人なのか……どうも親戚じゃないっぽいし、実は今だにハッキリしない。
ザ・海の男といった感じのタダウチさんは背が高くひょろっとしていて、手足が長く、日焼けした肌に角刈りのダンディなおじさんだった。
やせ型だがデカくて節くれだった手と長い脚で、ブルース・リーをもう少しのっぽにしたみたいな感じだ。まあ幼少期の記憶なのでもしかすると子供なりにデカく見えていたのかも知れないけど、そんなタダウチさんに私は非常に可愛がっていただいたことを覚えている。
そうそう、アントニオ猪木さんは
元気
という言葉をよく使う。確かにあの人は70過ぎて国会議員にもなったしいつも元気だ。
そして今は日本全国どこでも元気ってフレーズをよく目にする。
地方自治体の箱もの建築物に元気会館とか元気館とか。
何かしらのイベントのもっともらしいスローガンにも元気に、元気を。
日本を元気に、地方を元気に、社会を元気に、お前を元気に。
元気の押し売り、元気という概念の押し付け合いだ。
本当に元気で活動している人が言う元気と、アカの他人を元気に働かせて自分は何もするつもりがない奴の口から出る元気は全然別物だよな。

でタダウチさんだよ。タダウチさんからのお手紙には、よく
元気か?
って書いてあったのを今でも覚えている。
一度なんか暑中見舞いを送ってくれたんだけど、そのハガキの裏にでっかく
和哉、元気か?
とだけ筆ペンで書かれていたこともあって、私にとって元気な人っていうとアントニオ猪木さんか、タダウチさんなんだ。今でも。

タダウチさんの家は少し高い丘の上にあって、確か平屋で結構敷地が広かった。何しろのどかなところで、庭で普通にカブトムシとかとれた。
生垣と庭の草花の横を通りぬけて、海水浴場まで坂道を下ってゆく。車は滅多に通らない。
坂道の向こうに大人しくて静かな海が見える。陽射しが反射してキラキラ光っているところと、良く晴れた青い空が繋がっている。濃い藍色の海がわずかに揺れている。
タダウチさんの案内でノコノコ歩いて行くと、防風林の向こうに砂利の浜辺とぽしゃぽしゃ波の内海が広がっている。
タダウチさんに
「カズヤ、まず足だけつけてみな」
と言われて、海に入る。冷たくて気持ちがいい。
そのまま膝まで、腰まで、肩まで、とだんだん体を沈めてゆく。大人しくて冷たい海にだんだん溶けていくように。他の大勢の海水浴客と同じように。
しまいに
「カズヤ、アゴまでつけてみな」
とそそのかされて、アゴの辺りまで体を沈めたら、ぽしゃぽしゃ波がざぶんと顔にかかって、思い切り水を飲みこんだ。
タダウチさんが笑った。私も大笑いしながら時々むせた。

その日は日が暮れる前にタダウチさんの家に帰った。縁側から庭が見えて、庭の向こうに少しだけ、さっきまで遊んでいた海が見えた。スイカをご馳走になって、そのまま少し昼寝をしてしまった。
他人様の家の独特のにおい、畳の乾いた感触と、いつの間にか寝てしまったあいだにかけてくれたタオルケットの洗剤のにおい。
タダウチさんの奥さんが起こしてくれたら、辺りは真っ暗になっていた。
今度は花火があるからおいで、ここからでもよく見えるから。
見送りに出てきてくれたタダウチさんと奥さんが、そう言ってくれた。

その後もバーベキューをしたり、花火も見に行ったり、色々と交流があったはずのタダウチさんだったが、ある日を境にあまり会わなくなってしまった。
我が家はその後数年間、まあ色んなことが起こり続けて、毎日が荒れ狂う海のなかで辛うじて木片に掴まっているような思いだった。
あの大人しくて優しい海のような日々が嘘だったみたいに。

今もう、あの坂道もタダウチさんの家も思い出せない。けど当時の職場が近かったんで女河浦海水浴場という標識はほぼ毎日のように見る。
あの辺りにあったんだっけか、それともこっちの方だったっけか。
思い出したいけど、思い出せない。行ってみたいけど、用事がない。
理由がない。タダウチさんと奥さんは元気だろうか。

初めて海に入った日のことを思い出していたら、ついでに色々と記憶の蓋が開いたみたいだ。
用なんかなくても、今度その辺りを通ってみよう。
昨日そこを通った誰か知らない通りすがりの人と同じ、明日そこを通りすがるのが自分なだけだ。

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