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#不思議系小説 粘膜商店街


 腐敗ガスを動力にして走る肉骨(にっこつ)バスが1メートル80センチほどの骨格標本に肉新庄(にくしんじょう)と乱雑に書いたブリキ板を打ち付けただけのバス停に到着する。肉骨バス特有の、上腕三頭筋の感触に近いクッションにぶよぶよの皮膚を張り付けたシートの座り心地は最悪で、足早にバスを降りた。

 ほかに降りる客は居らず、肉骨バスは再びしゅうしゅうがしゅがしゅと目に沁みるような臭いのする腐敗ガスを撒き散らしながら走り去っていった。
 まつ毛の長い目玉が三つぎょろりと並んだ信号機は右の真っ赤なものだけが爛々と光り、あとの二つは固く瞼を閉ざしている。

 行き交う人々はみな体組織をむき出しにしていて、男も女も同じに見える。性器や乳房、頭髪に至るまですべてが剥ぎ取られて、真の意味で素っ裸に剥かれているような有様だ。
 道路の素材はアスファルト舗装からニンゲンの皮膚となり、それもより丈夫な臀部や背中のものが使われているようだ。時折、毛も生えている。

 昔、堤防の道路脇に背の高いススキが生えていたような塩梅だ。信号機の目玉が赤から青になり、歯並びの悪いスピーカーからはメロディーの代わりに骨が砕ける音がリズミカルに響く。横断歩道は筋肉と骨が交互に敷き詰められていて骨のところを踏まないとぐにゃぐにゃしていて危ない。

 血膿がとうとうと流れる肉級河川・肉千代川の堤防道路をのんびり歩く。遠くに見える鉄道橋も、そこを轟音を響かせて走る列車も全て人体の生体組織で形作られている。地面を引っ掻けば血が出て、むき出しの真皮が風に吹かれて心なしか痛そうだ。指先のささくれを極限まで拡大したようなサイズの世界。

 それが肉色の地球。

 赤と青の毛細血管の群れが透けて見える薄皮鉄道の各駅停車のみ発着する密着橋。血千代川のほとりにあって、遥か昔の幕府時代から橋がかけられ交通の要所として栄えた街だという。しかし今は肉の街だ。古くからあるこの腫肉筋商店街もすっかり生体組織構造に生まれ変わっている。

 おしゃれなタイル張りの舗装路だった地面からは、ところどころひょろひょろと細長く見苦しい体毛が生えており、どうやら昨今の不況から維持費を切り詰めるため安物の皮膚を使っているようだ。タイルの名残でところどころ痣加工も施されており、時折メンテナンスとして地面を思い切りハンマーや重量物でブッ叩いて青黒い痣をつけている。
 が、失敗すると皮膚が破れて大流血するうえ傷口が膿むと異臭を放ちウジもわくので、近年あまり見られなくなった技法だ。

 長いこと灰紫色の粘膜肉襞シャッターを下ろしたままの店もあり、決して賑わっているとは言えない商店街にはアーケードが付いている。軽量軟骨とアキレス腱の培養細胞を組み合わせた伸縮性に富んだ骨組みに薄い皮膜を張ったものだが、これもあちこち破れてしまっている。

 そこから差し込む陽光を浴びて干からびてしまった生体組織から新しい肉の芽が顔を出す。やがてこれが肉の双葉を出し、肉の花が咲き、足が生え、異臭を放つ腐れ肉蜜を垂れ流しながら花弁に包まれた目が開く時が来る。ウロウロされても臭いし邪魔なのでぶっ潰されて燃やされるのが関の山だ。
 もっとも、ココへ来る途中に見かけた別の商店街はすっかり死滅していて、アーケードは皮膜が殆ど破れ果てて骨組みもひしゃげて折れ、乾燥しきった肉も粘膜も襞膜シャッターも全てが物悲しかった。最早死体の寄せ集めに近い。あの名前すら失われ、人々に忘れ去られた肉の廃墟には、残留思念すら微塵もあるまい。

 商店には品のいい老婆のものだけを使った白髪そば、鼓膜を張り合わせた耳鳴り傘、模造品の性器、人工血液と透析用の培養臓器などが並んでいるが、どれも昔ながらの品物で古びたデザインのものばかりだ。もっとも近所に出来た最新鋭の巨大な売買契約肉盛会館(ショッピングモール)で売られているものはデザインこそ洗練されているものの大量生産され軽量・低価格化の弊害がもろに浮かび上がっているような代物ばかりで、やはりこうした商品は昔ながらの手作業で作られたものに限る。

 しかし時代の波には逆らえず、客足は遠のくばかり。その客足とやらも多足化改造した者や足という組織そのものをオミットした携帯用圧縮腐敗ガスボンベによる浮遊ユニットを使う者など変化を見せ、そうした機能の維持に欠かせない商品は全て新しい売買契約肉盛会館でないと手に入らない。

 古い人間も、古い生体組織も、古い文化も、全て干からびて死滅するまでじわじわと放って置かれている時代に、古い人間として生きている。心なしか最近、自分の体からかつてのようなハリが失われ、血の色が濃くどす黒くなっているように感じられる。足取りが重い。多足化にも脚失浮遊装置(フットレス)にも対応できていない古い生体デバイスである自分には新時代の肉体概念など無縁の話。そのまま朽ちて干からびて、肉の芽を出して蹴飛ばされて、回収された再生組織が新たな建築材料や食料としての栄養補給用角切培養肉になるだけだ。

 ここを歩く皮膚も筋肉も体組織をむき出しにした人間も日に日に数が減っている。新しいテクノロジーと世代の狭間に産まれ、どちらの恩恵を受けることもなく異臭を放ち、粘膜を陽射しや風雨にさらされ続けて生きてきた。ただそれだけの人生が文字通りむき出しのまま往来を歩く。何一つ飾り立てたり、長い髪の毛に焦がれたり、性器を欲して身をよじることもない。肉色のユートピアが干からびてゆく。痛いほど乾いた心と体が声にならない悲鳴をあげ、ひび割れてゆく。

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