「孤独」をテーマにしたマガジン。 孤独と闘う。孤独と共にある。孤独と向き合う。あらゆる「孤独」という概念に寄り添うメディアです。
半透明
わたしの部屋。秋田駅から私の家まで、バスで420円。週一くらいで更新します。よかったら、遊びにきてください。主に自分のこころのことを、いろんなことに透かして、つぶやいています。
すっかりご無沙汰してしまいました。前記事を書いてから4週間も経っているらしい。怖〜・・・。しかし本当に5月は忙しくしていて、よく切り抜けたと思う。もちろん楽しいことも多かったけれど!GWに始まり、プライドマーチがあり、なかなかそのあと頭が切り替わらなくて苦しい思いをして空回りをしたり。そうしたら6月に入り反動で希死念慮が強めになってしまったりしています。 奇しくもタイトルは「シーサイド・スーサイド」。「海辺と自殺」。どっちも身近なもの。死にたくなれば、海に行っていた私に
昨日、確かに、私の心のなかで、こういう音がする時があった。大雨の日だったから、かき消されたかもしれないけど、私の耳には確かに届いた。私の、守るべき、守られるべき、尊厳・・・とまで仰々しいものではないけれど、大事にしているものを、勝手に土足で、つぶれるように、踏み込まれたのは確かだった。 いつも、音楽を聴いている。というか、ヘッドホンをしている。 自分を守るためにしている。昔は有線のイヤホンだったけど、耳を覆うものがやはりいい。高校の時は有線の耳栓型のイヤホンが安いから
体力が無さすぎて先週の更新ができませんでした。今も正直このまま寝てしまいたい。こないだ、21時に飯を食うて、胃が重かったので夜にものを食べるのに耐えている。空腹は体にいいのだとやっとわかった。しかしチョコなんかはつまんでしまうが。 余裕がない。というか、まだ、わからない。病んでないから、心の余裕はあるみたい。ちょっと危ないときもあったけど。たぶん、体力の余裕がない。 私は幸せになる余裕がほしい。そのために働いている。ずっと、そういう余裕がなかった。だから、死にたくな
4月になってから2週間経ち。はたらいています。ひいー・・・。でも、いろんな遊具があるなかでいちばん好きなものを、いちばん最初に任せていただいているのは、すごいことですね。そして研究の続きをさせてもらっているような環境。生きることを考えることを、続けさせてもらえている。 しかし、夜型&デスクワークばっかりしてたわたしにとってはなかなかにハード。心に体が追いつかない。でも、生きてくために、いや・・そこまで切実にすると身を削っちゃうので、「生きて自分のための時間をつくるために
先日、「うあーパフォーマンスフェスティバル vol.3」に半透明として参加してきた。 Aokidさんがきっかけとなり始まったこの企画。いちばん最初のころの「どうぶつえん」に参加するとき、Aokidさんに「半透明」という名前をいただいた。 「どうぶつえん」のあとも、Aokidさんたちの試みは秋田で続き、お誘いもいただいたのだけど、修論が佳境プラス、屋内でおどるということに、まだ抵抗があった。やっぱり屋内だと、キャストとゲストがパッキリ分かれてしまう気がした。やりようによっ
函館をきっかけに仲良くなった妹のような存在が、毎月やっている(インスタで)ラジオにゲストで出させていただきました。この時、「まじで心がやられてたとき、見るもの全て彩度が落ちて、白黒に見えることがあった」という話をしたので、今回はその話を。 今読み返すとちょ〜恥ずかしい(これが黒歴史ってやつなのか)んですが、当時、インスタに書き残していた、桜に八つ当たりしている文があったので、再掲しておきます(すごい行為)。 いや〜、自罰的なのがありありと出ているなあ・・ワハハ・・
まもなく3月が終わろうとしていますね。早えもんだ。私はいつもこの季節が苦手で、毎朝起床、即、胸のあたりが苦しい。もっと解像度を高くすると、息を浅くしか吸えず、目は開けられても、どうしたって縦になるのが難しい。頑張って暖房をつけたりスマホから音を出したりしてみて、なんとか頭を起こす。でも、大体は逃げるように妄想に浸り、その中で分身に「そろそろがんばっておきてみなよ」などと言われ、トイレに走り(寒いから)またすぐに走って布団に戻ったり。こういうとき朝日がさしているとありがたい。
なんだかわたしは昔から、アイドルというものが好きなようで。上記のふたりもアイドルであり、今の〈推し〉である。 小6から嵐をずっと応援していたし(今も彼らが幸せでいてほしいといつも願ってる)、ものづくりの裏方が気になるのも相まって声優さんや役者さんに興味が出て…だから、アイドルというものというより、エンターテイメントに魅了され、憧れてきたのかもしれない。 幼い頃からブラックミュージックに身体を揺らしていたから、幼稚園で配られた「バレエ教室のお知らせ」に両親は「これだ」と思
私の「死にたい」って、何歳くらいからなんだろうと、先日雨晴文庫さんの〈絶望図書を語る会〉でふと考えなおした。修了論文(という名の2万字を超えた制作報告書)ではずっと「幼少期から」と言っていたが、頑張って思い起こしてみても、すでに小学校高学年のときには考えていた気がする。ネットでそういう話ができる友達を見つけたのがその頃だったから。(その時の友人は今でも親友です) 多分昔は「死にたい」なんて言ったら「おかしくなった」と思われて、手につけられなくなって(ウチは精神医療に対す