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ぐしゃり

ぐしゃり
① 湿った柔らかいものがつぶれるさまを表わす語。また、湿った柔らかいものに触った感じにもいう。びしゃり。
② 気性などがはっきりしないさまを表わす語。
③ ぐったりしおれたさまを表わす語。

精選版 日本国語大辞典(抜粋)

 昨日、確かに、私の心のなかで、こういう音がする時があった。大雨の日だったから、かき消されたかもしれないけど、私の耳には確かに届いた。私の、守るべき、守られるべき、尊厳・・・とまで仰々しいものではないけれど、大事にしているものを、勝手に土足で、つぶれるように、踏み込まれたのは確かだった。

 いつも、音楽を聴いている。というか、ヘッドホンをしている。

家でもヘッドホンをする(今)

自分を守るためにしている。昔は有線のイヤホンだったけど、耳を覆うものがやはりいい。高校の時は有線の耳栓型のイヤホンが安いから使っていたけど、基本的に音量MAXに近いので、それに対してドン引かれていた記憶がある。音楽を楽しんでいない、というようなことを言われた気がするが、自分のことを保てる強さと環境があっていいね、なんて皮肉なことを思ったことは、鮮明に覚えている。嫌だったことは嫌でも覚えていますね。その時も「ぐしゃり」としたかもしれない。

 昨日はたまたま大雨で、帰りのバスにも私しかいなくて、それがなんだかありがたく、ひとつの部屋のようで、その恩恵にあずかり、ヘッドホンをしないで帰った。
 でもまあ、誰かからの言葉をどう解釈して受け取るかはこちら次第なので、それに心を掻き乱されてしまうのは、私の心に余裕がないからなのかな、とも思ったりする。まだまだコドモ。でもこういう自分も好きだから、死ぬまで掻き乱されることに頭を抱える瞬間を持ち続けていたいとは、思うけど。

2019年9月、函館の某スタジオにて

 「今と別人だね」と言われたこの時だってめちゃくちゃ痩せてたわけじゃなかった。なんなら心身の状態最悪な時期。綺麗に見えるような角度を色々教えてもらいながらやったから、かっこよく見えて当然で、そこに私の努力もあったけど、周りの人たちの努力あってこそだから。今になったから思うけど、この時の私は、具合悪さを隠すのが本当にうまい。
 それが良い悪いは置いておいて、この時は、私が演りたい自分を演れていた。いい意味で。だから、人生で片手で数えられる心から楽しかった日のひとつになった。せっかく生まれたのだから、こういう日だってありたい。自分じゃない自分にもなってみたい。

 このことに関して、おもしろい感想を頂いた。「自分をフリー素材化するみたいなこともあるんですね」と。
 「自分にとってのフリー素材自分みたいな。匿名性?というか誰か気付かれないみたいなときに、自分としては能動的というかアクティブに働きかけているのが面白いと思いました。自分を押し殺してるわけじゃないというか。」
 そう、ただの「陰と陽」ではないんですよ。グラデーション。どっちかじゃなくて、いろいろある。二つがあるから真ん中が生まれるんですが、どっちかにいなくてもいい。間の、そのなかでもゆらゆらしている。残像のように、いろんな自分が増えていく。だから私はそれを「分身」と呼んでいます。

先日の「うあー vol.3」の自分のデザイン画。紙に起こすこともあるし、頭の中で作ることもある。

 そのやりとりの中で「マネキン」という言葉も出てきたりして。私的見解の「マネキン」は生きて温度のある人間なんだけれど。裸のマネキンの自分を、どれだけ大事にできるか。ずっと考えていることです。でも、マネキンが何かを感じ、波が起こって疲れちゃって(「疲」にも「波」の面影があるし)それって、昇華させないと、脳みそに蓄積されちゃうので、こうして、自分のペースでいいから少しずつ向き合う。「なんでそう思っちゃったんだろうな」と。そこから新しい視界がひらけた時は、嬉しいものだし、少しまた、歩きやすくなっている。

 ところで、この話は私も、人のことを言えないところがあったりする。共感力が強すぎて(悪い意味で)代理戦争をしボロボロになっていた自分としては・・今回のはちょっとベクトルが違う気がするけど。
 なんだろう、「自分のため」なのか「他人のため」なのか、その違いなのか。でもそんなのも、その時々で変わるからわからない。おんぶにだっこ、そういうところが一方的に感じられて、上手くいかなかったんだろうな、ということも今まである。申し訳なかったなと反省している。

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