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死にたいと言えない

 すっかりご無沙汰してしまいました。前記事を書いてから4週間も経っているらしい。怖〜・・・。しかし本当に5月は忙しくしていて、よく切り抜けたと思う。もちろん楽しいことも多かったけれど!GWに始まり、プライドマーチがあり、なかなかそのあと頭が切り替わらなくて苦しい思いをして空回りをしたり。そうしたら6月に入り反動で希死念慮が強めになってしまったりしています。

念願の浅沼さんのつくる舞台に行ってきました

 奇しくもタイトルは「シーサイド・スーサイド」。「海辺と自殺」。どっちも身近なもの。死にたくなれば、海に行っていた私にとって。
 私の人生はご縁で出来ていると言っても過言ではないくらい、秋田で暮らし始めてから(あるいは自分で生きようとし始めてから)シンパシーを覚えるものに節目節目で出会っていっているような気がしていますが、初・bpmの舞台がこの作品なのも、何かのご縁なのかなあ、などと思ったり。

席に置いてあったリーフレットに書かれた浅沼さんのあいさつ

 最後の二行に、肩の力が抜けた。入ったらそこには砂があって、海の音がしていて、そこで目を閉じて深呼吸した。いつも海に来るときにするみたいに。ありがたかった。実は結構しんどかった。ある意味日々に疲弊して、逃げるように舞台を観にきていた。今までそんなことあったかなあ。嵐のライブに行っていたときも、「参戦」という言葉があるように、どちらかというとよっしゃ行くで〜、という感じでライブなりなんなりに臨んでいたような気がする。安寧を求めて表現に触れに来る、というのは初めてだったかもしれない。もちろん緊張はしていたけれど、この二行でそれはいつも飲んでいる安定剤のように(なんなら安定剤よりも即効性があった)私を落ち着かせてしまった。すごいな。

 いつか来る死が確かに目前に迫っていることを知ってしまった北野が、死に方を教えてくれと太宰に乞う様子は、昔の刹那的な自分と重なった。それと同時に、「スーサイド」という名前になった元凶の西川に、北野は憧れも抱いていたのかな。どんな立場の人間でも突っかかっていく。自殺行為だ。でも決して西川は自分を殺してなんかない。自分を殺さないために行動していた。そういう西川が、北野にはすごくカッコよく見えていたんじゃないか。・・・と、私はかなり北野に感情移入してしまっていたのだった。北野の通夜が終わった後、海辺に来て、流木のあたりにお酒を置いて、そのあたりに西川が声をかけるシーン、いないのに、そこに北野が見えてしまって、どうしたって泣いてしまった。「お前と漫才がしたい」と最期に願い、それを叶え、生きていった北野。きっともっと、西川と漫才がしたかった。もっと生きていたかった。死にたいって生きたいの裏返し。皮肉だなあと思う。人間は不器用だ。きっと人は自分の首に手をかける直前の一瞬、きっとそういうことが過るんじゃないかな。わからんけど。それでも自分を殺すしかなかった人がいるのを、私は知っている。

 いつか、浅沼さんがお芝居において(だけじゃないと思うけど)やりたいこととして「びっくりさせたい」と言っていたのを思い出す。べしょべしょに泣いていたところを太宰(作家)が突然出てきて笑うしかなくなるのだが、デジャヴだ。昨年観た「言葉と体」という展覧会の「体の公演」。とぼとぼと歩く少年の周りを唯一の理解者のようにおどる体。震災の記憶が、走馬灯のように人を介してつなぎ合わされていく景色。それらにボロ泣きした後、ずんだ姫子さんにグワ〜〜ッと引き揚げられて笑うしかなかったのを思い出す。姫子さんが引き揚げてくれた世界はただの眩しい世界じゃなかった。だから笑うことができた気がする。振り回すようだけど、いつだって寄り添ってくれるのが「ずんだ姫子」なのだ。きっとずっと覚えている公演のひとつだと思う。

ずんだ姫子こと菊池佳南さん。すっかり推しです。
また会いたいなぁ(ちょうど一年前くらいなんだな)

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