”ちょっと思い出しただけ”と”花束みたいな恋をした”を観て考えたこと
ちょっと思い出しちゃった
映画”ちょっと思い出しただけ”を観て、ラストシーン、エンドロールの3秒前に涙を流した人はどれくらいいるだろう。私はその1人。
”ちょっと思い出しただけ”を観て、ちょっと思い出しちゃった。長年付き合った彼のこと。私、彼のこと本当に好きだったんだなぁって。そして、やっと本当にいい思い出に変わったなって思った。だから涙が出たのかもしれない。思い出にできたから。ちょっぴり涙は出るけど、この涙は思い出に出来た涙なんだなぁってそう思えた。
2月中旬の月曜日、東京・日本橋/TOHOシネマズ11:20。これでもかというほど繰り返される、感染症対策の上映中注意事項。映画館の管理側も大変だなぁなんて対岸の火事のようにスクリーンを観ながら、ふと思った。こんな風に映画館で映画を観たのは何年振りだろう。しかも、ど真ん中の席。もはや思い出せないくらい前だなってことに気付いたところで、ほろ苦いアイスラテを飲むと本編が始まった。
(以下軽くネタバレ注意)
観終わって純粋に思ったこと
”ちょっと思い出しただけ”の、てるおくんとようちゃんは、お互い大好きだったのに、うまくいかなかった。あんなに思い合っていたのに、結局は別れを選んで別々の人生を歩んだ。そして思った。去年流行った映画”花束みたいな恋をした”の、むぎくんときぬちゃんも、もう金輪際こんな合う人いないんじゃないか!ってくらいスーパーお互い大切な人だったのに別れを選んだ。
どうして?どうして?どうして好き同士なのに一緒にいられないんだろう。どうして好きなのに別れるんだろう。あんなに好き同士なのにどうしてずっとずっと一緒にいられないんだろう?
どうしてだろうって考えてた。
まゆみさん、私思うんですけどね。
”花束みたいな恋をした”を私が観ようと思ったのは、20代のお友達のかなちゃんに強く薦められたから。
それでついこの間の年末、沖縄旅行の帰り道、雪の影響で大きくフライト時間が遅れた時に石垣島の空港で待ち時間にこの映画を観た。そして、その数日後、かなちゃんとお互いの地元である名古屋で忘年会をしようとお店に向かっている途中、私なりの”花束みたいな恋をした”の感想をかなちゃんに伝えてみた。
ガラガラガラガラ。さっき東京から名古屋に帰ってきたばかりのかなちゃんはカーキの小さなスーツケースをガラガラ動かしながら悟ったようにこう言った。
その時はそう言って笑って、、その後2人で忘年会を楽しんだ。特に深い理由はないけど、忘年会中はその話の続きをすることはなかった。
でも、私はあれからずっと考えてた。
そして今回”ちょっと思い出しただけ”を観て、やっぱり思った。どうしてなんだろう?と。
答えは、良い加減なのかな
私なりの考えはこうだ。”良い加減”がいいのかもしれないということ。あまりにも大切に想ってたり、お互いの好きな気持ちが強かったりすると疲弊しちゃうんだ。しかも、そんな相手と何年も何年もすったもんだしていると、気力も体力もだんだん持たなくなるから。だから良い加減の相手がいいのかもしれない。
お互い大切だと思えば思うほど、相手に自分の気持ちをわかってほしい。相手のことをわかりたいと思う。必要として欲しいし、頼って欲しい。些細なことが気になるし、何?その言い方。って嫌な気持ちにもなる。大事に想う気持ちは一緒なのに、その気持ちとは反比例してすれ違ったりする。その度に、これでもかと言うほど疲れちゃう。
相手のことも大事だけど、他にも大事なこともある。仕事のこと、もっと考えなきゃいけないし、これからのことや、家のこと、友達に頼まれたあのことや、親のことだってあるし、、。
だから、ちょっと表現としては荒くなるけれど、”良い加減”の相手を選んで、その人と一緒にいることを”良い加減”で楽しめるほうが、心豊かに過ごせるような気がする。これはあくまで私の考えだけど、そんな気がしてならない。あなたはどう思う?
それでも私は一生に一回くらい花束みたいな恋をオススメしたい
だって、花束みたいな恋をすると、ちょっと思い出しただけ、そんなことがきっと人生で何度も訪れると思うから。そんでもってそれは、たまに引き出しから引っ張ってきて大好きなレモンサワーと一緒に話しの肴にすると、それはそれでいいよねってそう思えると思うから。
なんのこっちゃ、お後がよろしいようで。笑
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