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わたし、もしくはわたし


ここ最近のこと


随分長いこと、このnoteに言葉を綴ることをしていなかった。言葉を綴ることは、わたしにとって自分の大切なルーティーンの一つなので、全く苦ではない。そう、noteではなく、別の場所に綴っていた、というだけのこと。

けど、久しぶりに取り留めのない文章を書きたくって。早速言葉にしている。

気がつくと、季節はすっかり春で2023年が始まって、もう3ヶ月以上過ぎた。最近は、「ブラッシュアップライフ」っていうドラマにハマったり、鈍りまくった身体にさすがに危機感を感じ、筋トレを始めたり。鶏胸肉とブロコッリーをかなり多めに摂取したり、新しい繋がりを求め、積極的に動いたりしながら日々を過ごしている。


改めて、自分の「好き」を模索している


映画が好きとか、音楽が好きとか、漫画が好きとか、ゲームが好きとか、お酒が好きとか、サッカーが好きとか、コーヒーが好きとか、料理するのが好きとか、スリランカが好きとか、ヨガが好きとか、

あなたの好きなものは?って聞かれた時に、自信満々で笑顔で「これが好き」って言える人が羨ましいってずっと思っていた。

わたしには、ないのだ。

いや、正確にはある。例えば、言葉が好きだし、人の心が好きだし、お鮨屋さんのつまみとレモンサワーが好きだし、シンプルなものが好きだし。

でも、ないのだ。

これ!って感じじゃないの。なんかジャストフィットじゃない。好きだけどぉさぁ、好きだけどさぁ、、、って感じ。つまんない。

なんでわたしは「好き」が少ないんだろう?

そういえば、ラジオDJを目指している時、とあるラジオ局の最終オーディションで、

ディレクター「好きな音楽はなんですか?」
って聞かれて
わたし「歌詞が素敵な音楽が好きです」
って答えたら
ディレクター「ラジオDJなのに、この音楽が「好き」って言えないの、さみしいねー」
って言われたことがあった

歌詞が好きは、言葉が好きになるし、確かに言葉が好きなんだからいいじゃんって思ってたけど、「言葉」が好きは好きなんだけど、ぞっこんLOVEじゃないっていうか、燃え上がるほどの好きじゃないんだ。

だから改めて、自分の「好き」を模索している

でも、ここまで書いてわたしはひどく大きな勘違いをしているんじゃないかって思った。だって、これじゃぁまるで

「好き」がないのはダメなことみたい


燃え上がるほど「好き」がなくても


燃え上がるほど好きがなくたって、いいじゃん。ほら、自分1人で勝手に自己完結してしまった。書くってすごいな、、。思考がまとまるんだ。

どうして私たちは、こうでなきゃに囚われているんだろう。

これも、一種の思い込み、刷り込みだよな。世界は広いし、人生は思ったより長くて、思ったより短いのだ。(なんのこっちゃ)


わたし、もしくはわたしでいよう


わたし、もしくはわたしでいようと思う。要は、自分がそう思えないならそれでいいじゃないか!ってこと。

すっごい何かを「好き」じゃなきゃいけないことなんてない。わたし、もしくは、わたしはそんなことを望んでるわけじゃない。


わたし、もしくはわたしはもうわたしの中にあるんだから。


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