海外に出て少し自由を手に入れた

こんにちは。

「自由」という言葉を聞くと何をイメージするでしょうか。


好きな時に好きなところへ行ける

お金に余裕があり不自由のない生活

仕事は在宅で早起きする必要がない


私はどれも正解でとても良いと思います。憧れます。

私はいま、自分自身の事を比較的「自由」だと感じています。

けど、別にお金に余裕もあるわけでもなく、好きな時に好きなところへ行けるわけでもありません。買いたい物や旅行を我慢する事なんてザラにあります。仕事といえば普通に定時に出社して、毎朝朝礼だってあります。比較的と書いたのはこれらがいまの私に足りていないからでしょうか。

けど私は比較的「自由」だと思います。


日本の国としても、副業を推奨する動きとなってきており、それを認める企業も多くなってきました。

「働き方改革」という言葉が市民権を得たように、「仕事」「働き方」「自由」「幸せ」これら全ての在り方や価値観、正解が急速に変化しています。


私が自由を少しずつ実感するようになったのは海外に来て仕事をし始めてからです。海外に出れば自由になれると言っているわけではありません。

私にとっての自由の価値観が、たまたま海外で生活し仕事をする事にフィットしただけのお話です。

私は小学生の頃から「自由に生きたい」と常々考えてきました。そう考えるようになったきっかけは忘れました。まだ完全に自由を手に入れたわけではないですが、一回の人生自由を感じて生きていきたいと今も思っています。

それが私にとって海外で働き生活をする事に上手く合いました。

私を見たお客様はこう言います。

「若いのに苦労されて大変ですね」

「会社に騙されてここにいるんでしょ?」

冗談かと思うかもしれませんが、一週間に上記の2つは何回も言われます。不幸そうに見えるのでしょうかね?少し反省です。

けど私の心の健康度はいつも高い水準を保てていますし、ミャンマーにいながら仕事、生活をしていて、結婚もできて奥さんもミャンマーに付いてきてくれている。すごく良い人生だと思います。


前述の通り、私は小学生の頃から自由に生きたいと考えていました。どうしたら自由に生きられるのか、その手段を知るよりも先に、「自由の定義」を自分の中で理解し確立する必要がありました。

自由というゴールを知らずに走り出す事は出来ませんので、私なりのゴールを決める事にしました。


そんな中で私が考えた自由とは、=「責任」でした。

責任がうまれて初めて自由に生きる事が出来るんだと思っています。

自由に生きたい!けど失敗したら誰かに責任を…というのは全く自由では無いと思います。

これはただの「傲慢」だと解釈しています。

今の時代、多くの人が既に自由です。

会社勤めが嫌であればフリーランスで生きていけば良いと思います。

やりたい事をやれば良いと思います。趣味がお金に変わる時代です。

けど、その自由の意味をはき違えて生きにくい世の中にはなってほしくないですし、傲慢であってはならないと強く思います。

多くの情報では、自由を手に入れるために行動せよ。と煽りこそするものの、「自由とは何か」という事は教えてくれません。

モラルの低い人が自由を求めても、私は決して自由にはなれないと思いますし、周りで迷惑をする方も中には出てくるのかなと危惧しています。


「海外で生活をしたい!カッコいいから!」「事業を立ち上げて組織の中で管理職になりたい!」という漠然とした思いを持って、大学を卒業後入社したのが今の会社です。上記2つは入社後1年目で携わる事が出来ました。

しかしリスクも覚悟していました。

海外で生活、仕事が長くなればもう日本には戻ってこられない様になるかもしれない。自分の管理する事業が撤退となれば解雇だろうな。と思っていました。

けど、そうなったらそうなったで責任を取ってまたやり直そうと思っていたのも事実です。私の考える「自由の定義」が成立した瞬間でした。


大人になると、子どもの時より格段に自由になります。

子どもながらに早く大人になりたいとずっと思っていました。

欲しい物を買う意思決定が好きな時に出来て、行きたいところも自分で決める事が出来て、本当に大人って良いなーとずっと思っていました。

けどその分責任を自分で取らないとやっていけない事も事実です。

「責任」があるからこそ「自由」が認められるという順番が正しいのかもしれません。


自由を求めて行動をされる方には、まず「自由の定義」を自分なりの価値観で追究していただきたいですし、もっと我々人類の心が豊かになっていくと良いなと思います。

自由と傲慢が混在しないように、自身の気を引き締める意味でもこのnoteを書きました。


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