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29.10:11 次は、大きなお客様の来訪

ここ数日、暑かった。
初夏の陽気だ。
勿体なくて、春がすぐには来てほしくなかったが、春をすっ飛ばして夏が来てほしかったわけではない。
春を十分に楽しみたかっただけなのに…
花粉や黄砂、PM2.5は春らしく来ているが、こちらはすっ飛ばしたいくらいだ。
と思っていたら、翻って今日は肌寒い。
本当に徐々に春に向かっているんだな。

さて、本題に。
前回のエッセイでは小さなお客様が我が家にいらしたことを綴ったのだが、今回はなんと大きなお客様が来訪した。

大きなお客様。
それは我が母である。

春が近くなってきても、体調に不安のある我が母は遠出しようにもできない。
そこで、比較的近場である子どもの家に遊びに行くことに決めた。
小さなお客様よりも数倍大きな荷物を携えて、数日前にやってきた。
ここで過ごすことが、働き者の彼女にとって休息となればいいが。

そう案じていたが、今まさに母は我が家で存分に寛いでいらっしゃる。
既視感。
たしか、小さなお客様もすぐに彼女の家かのように寛いでいらした…

小さなお客様はアニメや戦隊ものをテレビで観ていたが、母は中国の時代ドラマを観ている。
小さなお客様はジュースを飲んでいたが、母はカフェオレを飲んでいる。
違いはそれくらいかも。

どうやら我が家は寛ぎやすい雰囲気があるようだ。
しかし、以前も書いたのだが、我が家はほぼお客様が来ない。
というより、お客様を拒否している。
私の城なので、他人が心地よく過ごせる工夫など皆無なのだが。

何故だろう。
何故二人共心から寛いでいるのか。
しかも、直ぐに。
自分の心地よさを追求した結果、他人までも寛がせる雰囲気と環境が整ったのだろうか。
謎めいている。

ただ、今後も小さなお客様と大きなお客様以外は遠慮願いたい。
やはり、家には人を招きたくないなと思っている。
自分の本当に大切なものが詰まった家だ。
自慢したい気持ちが無いわけではないが、やはり見られたくない。
自分だけのものにしておきたい。

3.11から12年が過ぎた。
今住んでいる場所も、今後の大地震の被害はきっと免れないだろう。
自分の大切なものが奪われることになる。
我が家も。
きっと何かが壊れる。
何かが失われる。

命があれば良い。
そう思うのは、大切な人の命のことを言っているのではないだろうか。
私は、この大切なものたちに囲まれた生活が壊れれば、ひどく傷つくはずだ。
命があったって、自分にとって重要な何かが失われたとき、その傷は簡単に癒えない。
癒えるはずがない。

そんなことを考えていると、我が家という私の大切なものが詰まった空間に人を招待したことは、きっと良かったのだと思う。
大切な空間を共有できたことは、この家が部屋が失われても消えない。

お客様たち、我が家で寛いでくれてありがとう。
私は、こうやって暮らし、生きているのだ。

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