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22.11:50 読書について、と新年の誓い

12月に入ったら、あれこれしようと思っていた。
月が替わったら、あれもこれもできると思っていた。
しかし、12月になった今の私は、11月だった昨日の私と少しも変わらず(体重も変わらず)、ただ出来もしない、やりもしない目標を掲げているだけ。
こんなはずじゃなかったと、12月の第1日目にして思う。

そんな人生を過ごしているので、新年の誓いなんて言わずもがな。
何を誓ったかは、しっかり手帳に刻まれているのだが、もう読み返す事すら苦しい。
だって、達成できていないから。

唯一達成したのは読書した本の数。
年間目標はとうにクリアした。
良かった良かったで済ませればいいのだけれど、本を何冊読むかなんて今思えばどうでもいいことだった。
「どうでもいい」では語弊がある。
本を沢山読めば、それだけ得られるものが多いことは確かだ。
多読は素晴らしい面もある。
しかし、1年間にたった1冊読んだだけだったとしても、それは素晴らしい体験なのではないだろうか。
数ではない質なのだ。
数をこなす為に面白くもない本を無理やり読んだつもりは無いが、数にこだわりを持つ限り、読書の本当の意味での価値からは離れていくような気が、今はしている。
読んだたった1冊の本が、心を揺さぶったり、人生を変えたりするのが読書だ。
だから読書は素晴らしいのだ。

もっと言うと誰かを真似して、読みたくもない本を読む必要すらないと思う。
今までに読んだ本によって、心に留まる大切な何かががあるのならばそれで良い。
敢えて新しい本を読む必要は無いだろう。
今までに読んだどんな本も面白くなくて、本が心底嫌いならば、それもそれで良い。
本以外にも、人生を豊かにするものはこの世界に沢山ある。

沢山の本を読むことは楽しいけれど、だからと言って、その分自分自身の為になったかと言うと疑わしい。
私の中に残ったものがあまりにも少ないのだ。
前述したように、心に留まる大切なものがあまりないことに気づいた。

以前の記事で、同時に沢山の本を読んでいると書いたが、それはこの多読とはまた別の話だと思っている。
https://note.com/dwmyh/n/n14addf90ad71
堪え性のない私が辿り着いた読書方法であるだけだ。
逆に、同時に多数の本を読むと、それぞれの本を読み終えるペースが遅くなるので、心に溜まりやすいのかもしれない。
ただ、数にこだわっていた私は、そのいい面さえも見逃していたようだ。

そこで、敢えて今このタイミングで新年の誓いめいたことをしてみよう。

「読みたい本を(可能な限り)好きなだけ読む。」

これが2023年の読書に関する誓いだ。
ミソは可能な限り、である。
やはり予算が限られているので…

まあ、それは置いておいて、この誓いを立てたことで、なんだかすっきりした。
もはや誓いすら必要もない。
新年限らず、好きな本を(可能な限り)好きなだけ読めば、私は幸せなのだ。
それに気づいた、12月1日。

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