見出し画像

87.8:45 ピカソの気配を感じたキュビスム展

最近思う事。
読書に価値を見出そうとし過ぎた。
効果や効能なんてどうでもいい。
ただ、楽しいから、知りたいから読む。
それで良いじゃないか。


先日、観てきた美術展。
「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展—美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」
The Cubist Revolution
An Exhibition from the Collection of the Centre Pompidou, Paris

今、人気の美術展が目白押しの京都市京セラ美術館に行ってきた。
10時の開館から間もなく着いたのだが、同時開催中のどの美術展の会場もごった返していた。

ピカソに惹かれてチケットを手に入れたので、キュビスムについて実は良く分からず足を運んだ。
だが、これでもかというほどキュビスムの絵画等を見せられると、否が応でも、キュビスムという流れが持つパワーを知ることが出来た。
言葉だけ知っていた「キュビスム」であったが、その芸術運動や流れを身をもって体感できた。

写真撮影がほぼ許可されていたので、多くの鑑賞者がスマホやデジカメを構えていた。
私も多分に漏れず、これはという作品をスマホで撮影した。

そのつもりだった。
しかし、どこからか撮影することを「観る」ことよりも優先している自分がいた。
我に返って、自分自身にがっかりした。
確かに、素晴らしい絵画を写真に収めれば、あとから見られるかもしれないが、そのアートが持つ本当の力や魅力は写真には収めきれない。
綺麗に映る角度やポジション取りに夢中になるあまりに、見逃したものが多いような気がした。

そこで、写真を撮る前に「観る」ことを自分に約束した。
すると、なんだか画家の筆のタッチがよりクリアに感じられた。
特に、ピカソのテラコッタでできた「女性の仮面」を見た時は、ピカソがそれを形づくったり削ったりする「手」が感じられて驚いた。
鳥肌が立った。
アーティストの気配を感じたのだ。
それもピカソの。

「知る」ことと、「感じる」ことは全く違う。
当たり前だ。
分かっていたはずなのに、本当の意味で理解できていなかったようだ。
今回の美術展での収穫は、まさにそれだった。

今後も、美術展に行く予定がいくつかある。
その時にも、アーティストの気配を探そうと思う。
その方が、アートをより深く感じられる。
正しく理解はできないかもしれないが、感じることこそがアートの魅力だ。
いや、本来は正しさなんてないのだから。

この記事が参加している募集

#今月の振り返り

13,051件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?