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26.16:44 血となり肉となり。本の話です。

podcastやvoicy、stand.fmを聞くのが好きだ。
以前はライフスタイルやマインドセットに関する話を聞いていたけれど、最近は政治経済や人文などに関するチャンネルも聞き始めた。
これが存外に面白い。
今生きている時代について、アンテナを張るようになった。
こうやって、いくつからでも知識や好奇心は豊かになるんだなあ。


さて、本題に。

知識や好奇心を培うには、やはり読書が良い。
どんな本を読もうかと情報収集していると出会う言葉がある。

「この本が私を(私の人生を)変えた!」

この言葉を聞くと、本当にうらやましい。
私はそんな本が思い当たらないからだ。
本を読んでいる方だと思うけれど、人生を変えた本と言われると思い浮かばないのだ。
noteのハッシュタグでも「#人生を変えた一冊」というのがあり、6000件以上の記事がある。
皆さんこの本こそという本を挙げている。

しかし私は、一冊も思い浮かばない。
一冊も?
一冊も。
それを悲しいと思うか、仕方ないと思うかは人それぞれだが、私は少し悲しい。
というより、後ろめたい気がする。
本を読んでいるのに、きちんと読んでいないと言われているように感じるのだ。
確かに集中して読んだはずなのに。
本の中身が自分に染み込んでいないのではないか。
読書家(と初めて名乗ったが)として、失格なのではないか。
などと考えてしまった。

本には物凄いパワーがあると思っている。
実に、人生を変えるような。
それにも関わらず、私の人生を変えた本が無いのは、私の読み方が悪いのではないかと思ってしまったのだ。

本当にそうなのか。


本のパワーを信じているのは確かなこと。
本は私に様々な感情を呼び起こさせ、更に新たな感情を生じさせてくれる。
どんな本でもそうだ。
つまらないと感じる本もあるが、それさえも私には貴重な感情体験だ。

これこそが、本の持つパワーではないだろうか。
本を読んで流した涙や、感じた怒り、悲しみ、苦しみ。
そういった感情は、一過性のものかもしれない。
それでも、その時の私を確かに変えている。
その時少しでも変わったなら、それは今の私にも確かにつながっている。
本を読んで抱いた感情は、私の血肉になっているのだ。

そう考えると、少し気が楽になった。
読んだ本一冊一冊を完全には覚えていないが、私の血となり肉となり、今の私が形づくられていると信じたい。

「この本が私の人生を変えた!」
ではなく、
「全ての本が私の今を作っている!」
のだ。

これが私がこれからも本を読む動機になる。
さて、今日はどんな本を読もうかな。

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