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37.11:41 また本に影響を受けた話(鍵盤に触れたくて、初夏)

今日は紫外線が強いらしい。
黄砂やPM2.5以外にも外には、紫外線という大敵がいる。
だから家でいようと思う。
そういう時はnoteを書こう。
ということで、以下本文です。


稲垣えみ子さんの『老後とピアノ』を読み始めた。

まだ読み始めたばかりなのだが、彼女の文章のおかげで、自分も鍵盤楽器を弾きたいという欲求が出てきた。
鍵盤楽器と書いたのは、私が習っていたのは電子オルガンだったからだ。
その後ピアノも少し習ったが、メインは電子オルガンだった。
エレクトーンといった方が分かりやすいかもしれない。
私が習っていたのもエレクトーンだ。
ただ、エレクトーンは、ヤマハが販売している電子オルガンの名前なので敢えて電子オルガンとした。
ドリマトーンもあるしね。
友人がドリマトーンユーザーだった。

話がそれた。
弾きたい欲とでもいうべきか、鍵盤が恋しくなってきた。
幼少期~学生時代~社会人と、私と鍵盤楽器との縁は続いたが、ここ10年ほどは、遠ざかっていた。
既に家にはピアノもエレクトーンもない。
それで良かった。
何故なら、ものすごく苦手だったから。
何でずっと続けていたのかわからないくらい、苦手だった。
特にピアノが苦手で、電子オルガンとは全く違う鍵盤の重さと幅、そして左手の使用頻度に悪戦苦闘していた。

正直、鍵盤楽器との縁が切れたときはほっとした。
これでもう無理やり人前で弾かされたり、(なぜか)人を教えたりするという苦行を味わわなくてよいとなると、気分は晴れやかだった。
しかし、実家にはピアノがまだある。
誰も弾かず調律も狂ったピアノが、ひっそりと自室だった部屋に鎮座している。
そして、もちろんエレクトーンもほこりをかぶっている。
実家に戻るとそれらを目の当たりにしてしまう。
苦々しい思いと、両親が必死に貯めたお金で買ってくれた楽器をそんな風に思う自分が情けない思いがないまぜになり、やるせないのだ。

しかし、稲垣えみ子さんの本をきっかけに、鍵盤楽器への憧れのようなものが出てきた。
以前は義務として接してきたピアノや電子オルガン。
苦手で、やりたくなくても諸々の理由でやっていた。
しかし、これからは自分が弾きたければ弾けばいいし、弾きたい曲を自由に弾けると気づいた。
直ぐにはどんな曲も弾けないと分かっているが、練習したければすればいいし、さぼってもいいのだ。
義務なんてないのだから。
曲を仕上げる〆切なんてなんてないのだから。

心が軽くなると、苦手なものの見方も随分変わるものだ。
まだ、稲垣さんの本は読了していない。
ただ、本の初めの数ページでこうも自分が変わるとは思わなかった。
影響を受けやすいタイプではあるが、自分でも気持ちの変化に驚いている。

丁度、数日後に実家に帰る。
この機会に、ピアノとエレクトーンを触ったり、メンテナンスしたりしてみよう。
両親はどんな顔をするだろうか。

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