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55.8:09 若者に気圧されても立ち上がる!

今日から猛暑日予想の地元。
暑さの質は変わったが、暑いことに変わりはない。
いつまで続くのか。
ある人が夏と秋が混ざり合う季節と言っていた。
美しい言い方だと思ったが、こちらの地方は夏が優勢のような…。


久しぶりにスタバで読書をした。
店内はほぼ満席で、私は二人用の席が三つ並んだ真ん中に陣取った。
両側の二人席は、大学生らしき女性二人組がそれぞれ座っていた。
何故大学生が平日のこんな時間に?と疑問に思ったが、まだ夏休みなのだと気づく。

私の目的は待ち合わせまでの時間つぶし。
絶好の読書時間だった。

ただ、久しぶりだったからかどうも落ち着かない。
夢中になって読んでいるというより、さらっと文字をなぞっている感じだ。
さらさらと進んでしまい、はっと気づく。
内容が頭に入っていない。
そこで数ページ戻る。
ということを繰り返した。

両隣は話に花を咲かせている。
それも集中できなかった理由かもしれない。
何せ若者の話なんて普段聞く機会はないのだ。
聞くまいとしつつも聞こえてくる話が集中力を削いだようだ。
それでも読書をしようと努力した。
しかし、若者の華やかさとパワーに気圧されている自分に気づいた。

彼女たちは私に圧をかけているわけではない。
それどころか、比較的穏やかに話していた。
しかし、若者が持つ特有の自信とでもいおうか。
自分自身に自信があるないに関わらず、全ての若者が放っているオーラがある。
「未来」という不確かだが、輝いてもいるものがまだまだ「先」にあるという自信。
そう、そういう自信に満ち溢れいているようで、まぶしかった。
これは私の勝手な思い込みだとは思うが。
私にはそう感じられたということだ。

これは逆に自分自身、私自身の「未来」に対する感じ方の裏返しなのだろう。
「未来」は「先」にあるのではなく、もうすでに思い描いていた「未来」に生きている感覚。
20歳前後の未来はきっと30~40代なのだ。
そう考えると、私は間違いなく彼女たちの未来に生きている。
それに気づくと、自分も年を取ったなあ、と感じざるを得なかった。
読書もせずにそんなことを考えた。

私は若い時の自分が思い描いた「未来」を生きてはいない。
これはどうしようもない。
だが、私に「未来」がないかと言われればまだあるのだ。
未来に生きている感覚が、自分にも未来があることを忘れさせるようだ。
まだ若者の視点で物事を考えているのかもしれない。

人生は、今が起点だ。

丁度読んでいた本も、未来の自分を考えさせられる内容だった。
本は、光浦靖子さんの『50歳になりまして』である。
このエッセイを読んでいる私が、若者のパワーに負けてどうする。
我に返って、待ち合わせまで存分に読書をしたのだった。

光浦さんの本、面白いです。

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