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81.9:07 「別世界」を知る衝撃。旅エッセイを読んで。

桜が散り始めている。
過去の私は、桜の花が散るのが悲しくて、そんな散り際の桜を見たくないとすら思っていた。
しかし、年齢を重ねてくると、その散り際さえも美しいと感じるようになった。
詫び寂びでいう「寂び」が分かるようになってきたのかもしれない。


角田光代さんの『世界中で迷子になって』を読み始めた。
しばらく積読になっていたこの一冊。
春だからか、新しい世界に興味が出てきた。
日常生活はいたって通常運転なので、変化も何もないのだ。
そこで、旅をテーマにしたこの本に白羽の矢が当たった。
勿論私の中だけで。

まだ序盤だが、こういう旅エッセイもあるのかと驚かされた。
続きが楽しみだが、なんだか勿体なくて少しずつ読み進めている。

「はじめに世界があると知る」という最初のエッセイで、角田さんと世界の出会いが書かれていた。
詳しくは書かないが、私とは真逆だなと感じた。
大学生の四国出身の友人に、四国ってどこと聞く下りでは本当に驚いた。
私はどんな本を読んでも、その自分とは違う世界がうらやましくて仕方なかった。
海外文学をよんでは、その地に思いを馳せていた。
実際には行けないその世界に。
地図帳が愛読書だったくらいだ。

そんな私が初めて海外に行ったのは20歳の頃。
韓国だった。
大学の同期たちとの旅行。
かなり刺激的であった。
見るものすべてが新鮮だった。
話されている言葉が聞きなれず、とても興味深かった。
また、人々の顔がどこか日本人とは違っていて、そして何より空気が全く違っていた。
興奮状態だったと思う。
父親にもらったデジタルカメラで、とにかく見るものすべてを記録しようとした。

また、当時から韓国に推しがいた私は、その方の写真集を買い求めた。
そして、何を思ったか現地の雑誌を買いあさったりもした。
自分の体験したことをとにかく記憶にとどめておきたかったのかもしれない。

初めて、違う国に行くことのインパクトは計り知れない。
今でも、全てではないにしろ、どこに行って何を食べて、そして誰に会ったか(日本の有名人に遭遇した)思い出せる。

楽しかったという感想は月並みで全く面白くないが、それでも楽しかったとしか書けない。
自分という人間が海を越えて、まだ見ぬ世界に足を踏み入れたのだ。
楽しくないわけがない。

そこから海外旅行は何度もしたが、それでもこの韓国旅行は特別である。
韓国にもその後何度が足を運んだが、あの「別世界」を心から感じられたのはこの最初の旅行だけである。

今まで何度かこのnoteに旅について書いている。
例えばパリ旅行についてはこんな記事を書いた。

まだ書ききれていないことは、これから書いていこうと思う。

それよりも、本当の旅がしたい。

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