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【火ノ丸 記紀奇譚-序章】第3話 黄泉国

黄泉国よもつくに

 数日後、カグツチは目を覚ました。

「ん?何処だ、ここは?」

辺りを見渡すと知らない世界。
暗い森の中、白と蒼の境目のない色味の霧に包まれていた。
遠くに灯りは見えるが、太陽の光は射していなかった。
グゥと腹が鳴った。

「腹減ったなぁ」

自分が生きている事に、疑問も持たずに立ち上がると、そのまま歩き出した。
一里ほど歩いたところで、またグゥと腹が鳴った。
ふと立ち止まり見上げると、小高い丘の上に暖色の灯りが見えた。
登ってみると、その先に黒い鳥居が見える。
鬱蒼うっそうと茂った樹々の間を進むと、その奥には立派な佇まいの、本殿らしきものがある。
漆黒のやしろには、太いしめ縄が備え付けられていて、見た事のない作りをしていた。

「お主は誰じゃ?」

突然、声を掛けられ、振り返ると白装束を纏った美しい女性が立っていた。

「私はカグツチ。火の神、火之迦具土神ほのかぐつちと申します」

女性はいぶかしげな表情を浮かべたまま、こちらに近づいて来た。

「カグツチ?本当にカグツチなのかい?」

声の主は、自分が生まれたせいで命を落としたイザナミ命であった。

「母上、まさか、何故ここに?生きておられたのですか?」

「まぁ、なんと愛しい我が子ではないか。本当にカグツチなのかい?」

「はい、正真正銘、火之迦具土神ほのかぐつちにございます」

ふたりは抱擁を交わし、イザナミはカグツチの髪を撫でた。
その時、三度みたびカグツチの腹がグゥと鳴った。

「腹が減っているのだね。私の家に行きましょう。美味しい木の実があるから、たんと食べるがよい」

カグツチはイザナミと一緒に家へと行く事にした。
その道すがら、カグツチは腹に抱えていた疑問を口にする。

「時に母上は、私を恨んではいないのですか?」

「何故、我が子を恨むのです?」

イザナミはそう返して、カグツチの顔を覗き込んだ。

「でも、私が纏った炎がもとで、母上は亡くなられたのではないですか」

「親の命が、子に受け継がれたのです。なんで恨みましょうか」

イザナミの微笑みに、カグツチも頬を赤らめて微笑んだ。
程なくして、二人はイザナミの家へと着いた。

「カグツチや、ごめんよ。この黄泉国よもつくにでは、食べてはいけない物がある」

「それは何ですか?」

黄泉戸喫よもつへぐいと言って、この国の釜戸で煮炊きした物を食べてはならぬのです」

また、カグツチの腹がグゥと鳴った。

「何故、そんな掟が?」

「掟ではないのです。この黄泉国よもつくにの食べ物を口に入れてしまうと、もとの国には帰れなくなるのです」

「それなら大丈夫。私は母上と暮らします」

イザナミは俯いて、少し悲しげな表情をみせた。

「あなたは、もとの国に還って、国を守らなくてはなりません。まだ、ここに来るべき時ではないのです」

「では、母上も一緒に帰りましょう」

「私は黄泉戸喫よもつへぐいをしてしまいました。あなたとは還れません」

「そ、そんなぁ」

「いいですかカグツチ、母の話をしっかりと聞くのです」

「はい」

「程なく、イザナキが黄泉国よもつくににやってきます。わたくしを連れ帰るために」

「ち、父上が…」

「その時、黄泉比良坂よもつひらさかが開きます。黄泉醜女よもつしこめに紛れて、光の射す方へ進むのです。決してイザナキに気づかれてはなりませんよ」

イザナミは一瞬、目尻に光の粒をこぼし、向き直ると続けた。

「しかし、あなたは一人では黄泉比良坂よもつひらさかを越える事はできません。光の先から、あなたを呼ぶ声が聞こえるはずです。その光を追いかけ、掴むのです。必ず導いてくれます」

「わかりました。でも、母上は…」
カグツチは、その言葉を飲み込んだ。

その瞳にはあかい炎が戻りつつあった。

…つづく。

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